このまま進めば彫刻家としてやはり一家を成していたはずだ。少なくとも一生困ることはなかったに違いない。

 しかし,1994年に光吉氏は大きな転身のキッカケとなる技術に出合う。それまで触れたこともなかったインターネットやコンピュータに取り付かれてしまったのである。

光吉氏の作品
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 1994年といえば,前年にWeb閲覧ソフト「Mosaic」が開発されて,インターネットという言葉が一般に知られ始めた年である。日本では,一部の先進ユーザーがパソコン通信を使っていたが,インターネットはまだ研究目的の利用が主流で,オープンな世界と自由に通信することは一般には普及していなかった。

 そのインターネットを説明するテレビ番組を偶然に見た光吉氏は,自分の作品を紹介するホームページを公開しようと思い立つ。すぐにパソコンを買い,「TCP/IP」や「HTML」の仕組みを独学し,ホームページを開設した。その当時,インターネットの威力に気が付き,飛びつくという行動力には驚いた。光吉氏の先見の明と言うか,動物的勘には,敬意を表したい。

音声入力で3次元CGを自由に作れたら…

 そこから光吉氏によるIT技術との格闘が始まる。既に彼は30歳になろうとしていた。芸術家からITの世界への転身は突拍子もないように見えるが,実は,彫刻家時代からその素養があった。芸術家としての道を歩むと同時に,建築では数学を,彫刻では素材となる高分子の技術についても学んでいたのである。ポリマコンクリートでは新素材を開発し,学会誌に論文が掲載されたこともあるという。

 既に数学や物理,化学という科学技術の世界に触れていた光吉氏にとって,コンピュータに魅入られることは,一本の道筋の上にあったのだろう。独学でコンピュータ関連のハードウエアやソフトウエアの開発を始めた。憧れたのは,当時の最先端マシンである米Silicon Graphics(SGI)社のワークステーションなど。彫刻家らしい発想でいずれ3次元のコンピュータ・グラフィックス(CG)がコンピュータの世界で当たり前になると考えた。

 1997年に東京・渋谷に光吉研究所という会社を設立し,技術開発を進める中でもたげてきたのが,「なぜ,人間の感情をコンピュータは理解できないのか」という疑問だ。ある時,「人間が声で指示することで,自動で3次元CGのアニメを制作できたら便利」と考えたのだという。だが,その実現はかなり難しいということに気が付いた。コンピュータに人間の感情を認識させる必要があるからである。