「人脈を駆使したり、学会発表の場で優秀な人材を探したりと、人材確保の苦労は多かった」という。とういうのも、日本では大手企業からベンチャー企業に転職する人材はまだ少数派だったからだ。飯塚さんが東芝を辞めて、ベンチャー企業を起こした時でも、「何か問題を起こしたのか」「会社に不満があったのか」と親しい方からもいわれて、「逆に驚いた」という。「仕事面での不満はなかったが、自分のやりたいことを適宜やるために独立し創業した」と説明する。米国では優秀な人材が自分の腕前を発揮させるために、ベンチャー企業を創業することが当たり前と考えられているのに対して、日本では何か問題を起こした人が社外に出て起業するとの見方が残っている。このため、日本では「優秀な人材の流動が起こらないことが一番の問題だ」と指摘する。

 2001年8月のJASDAQ市場上場を機に、知名度が高まり、新卒採用が可能になったという。2009年12月時点で社員数144人(連結で)に達し、約70%が技術系であり、その多くが大学院を出た修士か博士である。企業の規模は小さいが、「自分が手がけた製品を国際市場にぶつけて真価を問う仕事を通して成長する人材育成に力を入れている」と語る。成長の速いベンチャー企業の仕事の面白さを求めて、「日本でも優秀な人材が魅力的な仕事に集まってくる人材流動が本格化することを熱望している」という。

 飯塚社長は、日本でもイノベーションの担い手としてのベンチャー企業の役割は大きいと考え、2000年10月に社団法人日本半導体ベンチャー協会(当時は任意団体)の設立をリードした一人となった。実は当時は上場前で、VC(ベンチャーキャピタル)の担当者からは「上場に専念するように注意された」と語る。飯塚社長は、日本でもベンチャー企業同士のネットワークが必要になり、ザインにとっても必要な環境をつくりたいと考え、同協会の会長に就任した。

 さらに、2006年には電気業界に特化したベンチャーファンドの「イノーヴァ」を設立するなど、ベンチャー企業育成の環境整備に力を入れてきた。こうしたベンチャー企業育成への努力にもかかわらず、日本はベンチャー企業が勢力を得ていないのが実情だと嘆く。イノベーション創成には、ベンチャー企業が活発に事業を進め、既存の大手企業に刺激を与え、巧みなアライアンスを組むことが日本活性化させるという。この点での飯塚社長の悩みは大きい。

 飯塚さんは若手人材にベンチャー企業に就職することを進める。30歳から35歳の若手の時期に「企業規模が小さい方が、なぜこの仕事をするのかという動機を根底から考えやすく、事業戦略やクライアントの企業を含めて他社とのアライアンスを考える仕事は能力を高める契機になる」と薦める。わくわくする仕事は人材を育成し、その仕事の達成から幸福感を感じるからだという。

 実際に、ザインのクライアントは富士通、ソニー、東芝、パナソニック(三洋電機を含む)、日立製作所、三菱電機、NEC、シャープなどの日本の大手電機メーカーに、韓国のサムソン電子、LGディスプレー、米国のトリデントなどと多数の企業である。幅広いクライアント企業を相手に事業展開を図っている国際企業である。

 飯塚社長は、大学での講義や講演を多数引き受けている。リーマンショック後の就職難のせいか、最近の学生の保守的な考え方を心配し、「本当に面白くてたまらない仕事を提供するのが経営者の任務と考えている」と語る。日本の大手企業に勤務する技術者も自分がしたい仕事を求めた人材流動のリスクをとらなくなり、保守化していることに、日本の活力低下の原因があると診断している。「景気が低迷する時こそ、ベンチャー企業が元気な社会にしたい」と語った。