ベンチマークを繰り返して導入

 当時は導入する3次元CADを選ぶことこそ、事業部として、その中核の開発部門として生き残りをかけた大変な取り組みだった。筆者の開発部門では、多くの部門が擦り合わせを繰り返して設計内容を完成形に近付けていく業務のスタイルであったため、共有設計に優れるCADが導入されたこともあった。共有設計という開発スタイルは航空業界に見られたもので例えば米Boeing社のプロジェクトで翼部分を日本の企業が担当した、といったスタイルだ。

 さらに紙という、極めて大きな外乱要因になるものを扱う機械が製品だったため、さまざまな実用試験の結果から設計パラメータを収束させる、という開発手順を取らざるを得なかった。そこでCADとして必要になるのが、設計変更に対する柔軟性、つまりどんな変更でも、たとえ以前の方針と矛盾する変更であっても素早く実行できる性質だった。

CAD選定に用いた書類(イメージ)
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 ところが世の中のCADには、最初に設計意図を完璧に矛盾なく整理し、あとはそれに従って粛々と作業を進める、という思想のものもあった。理屈としては大変美しかったため、そのような3次元CADをトップダウンで導入しようとする動きもあり、現場としてはそれに対抗しなければならない、という事情も生じた*1。そこでベンチマーク用モデルを設計し、当時の代表的な3次元CADについてベンダーのエンジニア、事業部のエンジニア双方で非常に過酷なベンチマークを敢行し、徹底的評価を実施する、という進め方になっていった。

 下図は、1997年に筆者の電機メーカーで、設計変更に対する柔軟性が第1要求という条件で実施した、代表的3次元CADのベンチマーク結果である。その中に、設計変更に対する柔軟性を表す興味深いグラフがある。ベンチマーク用モデルは、2次元図面ならA2図面で描くような比較的大物の樹脂成形品。光学部品(ポリゴンミラー)を保持する部品であり、非常な精度と複雑なフィーチャ群を有する。グラフは、モデリングの際最初に定義したフィーチャと、同じく最後に定義したフィーチャとを変更し、そのときの処理時間(再構築時間)を測定したものだ。こう見るとCADによってかなりの差があったことが分かる*2。

 筆者の事業部に限らず、さまざまな電機メーカー、自動車メーカーで同様に、3次元CADでいかに最大限の効果を得るかについて知恵を絞り、紆余曲折を乗り越えながらも導入プロジェクトを進めていった。そのような苦労の末に、現在のセットメーカーでは3次元CADはもはや当たり前であり、製品開発の前提条件である、といえる状況になっている。

 そう思っていた筆者が最近になって直面したのが、冒頭に述べた部品メーカーの実情であった。すなわち、3次元設計どころか、2次元CAD図面の改訂さえままならない状況である。最初は面食らったが、セットメーカーとこれほどまで状況が異なっているのはなぜかを把握するのに、それほど長い時間はかからなかった。

(次回に続く)

*1 いわゆる「ヒストリー(モデリング履歴情報)の強いCAD」と「ノンヒストリーCAD」の差である。トップが導入しようとしたCADはヒストリーの強いCADであり、ヒストリーに沿って首尾一貫かつ整然とした開発ができるよう考えられたものだが、逆に首尾一貫しない変更は苦手である。われわれの現場にはどのような変更も受け入れる「ノンヒストリーCAD」が望ましかった。
 どちらが正しいかはさておき、このようなCADのコンセプトの多様化が進んで発展したのも、自動車業界というより電機業界が中心だったように思う。

*2 特にPは、ヒストリーベースの中では設計変更時のヒストリー再構築処理が最も速かった。しかし、ノンヒストリーのDは履歴そのものがないためにPよりもさらに速かった。
 ただ、実際のベンチマークにおいては、この処理時間の実測値を評価する際に考慮すべき隠れたポイントがもう一つあった。それはオペレーターの違いである。Pは、バリバリのコンサルタントが設計変更を前提に演算処理が早くなる工夫を凝らしてモデリングしていたのに対し、Dのオペレーターは図面を読み取ることもやっとのレベルだった。つまりDのオペレーターは設計意図に対してろくに配慮もせずにモデリングしていたのにもかかわらず、それでも変更処理が容易だったわけであり、そのこと自体がノンヒストリーのフレキシビリティーの可能性を如実に物語っていた。