十六代大西清右衛門作「源氏香透八角釜」(香文化資料室 松寿文庫蔵)。数百年前に芦屋で作られた釜を模した大西の作品。透かしの入った複雑な造型で、再現が難しいとされてきた作品。
十六代大西清右衛門作「源氏香透八角釜」(香文化資料室 松寿文庫蔵)。数百年前に芦屋で作られた釜を模した大西の作品。透かしの入った複雑な造型で、再現が難しいとされてきた作品。

「使いやすさと造形的な美しさは相反する場合があるんです。自分の好きなものを形にすれば、通常のものと違うから使い勝手が悪い。鶴ノ釜なんて、炉に入るぎりぎりの大きさですし。それをどうにか使って、と考えるからお茶は面白くなるんやと思います。それは、一般的な使いやすさとは違うかもしれません。けど、道具の理というものはあると思います。その基本を踏まえた上で崩さんとね。相反しはするけど、両方の要素が入っとらんとあかん。そう思うんです」

十六代大西清右衛門作「廣口釜」(浄信寺蔵)
十六代大西清右衛門作「廣口釜」(浄信寺蔵)

 茶の湯の釜にも決まり事はある。風炉や炉に据えるために大体の大きさが決まっている上、他の茶道具や茶席に合わせたコーディネートも考えなければならない。季節によって、冬の寒い日には炉に大ぶりの釜を据えて大きな火をおこして暖かくしたり、夏には小振りの釜を風炉に据え、といったいわゆるTPOも暗黙知としてある。職人道具のような高い機能性までは求められてはいないが、ある程度は使いやすさが必要ともされる。

 しかし、大西は茶道具の中でも釜は「特に自由度の高い道具」だと言う。造形的な自由度の高い茶道具として茶碗も挙げられるが、掌に納まるサイズのそれに比べ遥かに大きい釜は、その分自由度もより高い。だから「一室の主人公」としていかに目を楽しませ、心をなごませるか、という部分を追求できるのだと。

 そして現代は、茶の湯の発展と共に釜の水準が一挙に上がった400年前と状況が似ていると、大西は感じているようだ。

「昭和期は、伝統にのっとった形式的なものを作るという傾向が強かったように思います。戦後、日本文化復興の動きが時代性としてあったからでしょう。けど400年前は、自己主張の強い者が多くて、お茶の世界も主張がはっきり出されていた時代だったと思います。施主の要望が多岐に及んでいる今も、そういう主張ができる時代なんじゃないかなと思うんです。その中で個性を出すならば、歴代とは違うものを作らなあかん。昔のものでいいもんがあれば、理解しながら復元しつつ、新たなものを見つけてもいく。そうすることで歴史が繋がるんです」