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HOMEスキルアップマネジメント技のココロ > 「釜」第6話『引き継ぐ者の覚悟』

技のココロ

「釜」第6話『引き継ぐ者の覚悟』

  • 文:国分樹生=ライター,仲森 智博=編集委員 撮影:藤森 武
  • 2010/08/26 15:00
  • 1/6ページ

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下絵を元に、鋳型に地文を描く大西清右衛門。
下絵を元に、鋳型に地文を描く大西清右衛門。

 大西家は当代の大西清右衛門(おおにしせいうえもん)の父である先代清右衛門で十五代目。初代浄林(じょうりん)が京都の三条釜座(さんじょうかまんざ)にふたりの弟と共に工房を構えたのが元和2年(1620)前後。大西は以来400年近く続いてきた釜師の長男である。

「けど、継げとは言われんかったですね。親父は元々会社員をしていました。ところが家を継ぐはずだった親父の兄が事故で亡くなってしまい、仕事を継ぐことになったんです。そんなこともあったからか、親父は私に対して継げとは言わなかった」

 それでもいつしか、自分が継ぐのだと強く意識し思い始める。

「本当に意識したんは中学のときくらいかなぁ。幼い頃から、お客さんとかから『跡取りさんやね』って言われてきたもんやから、これは継がなあかんのかなっていう思いはありました。けど、工房は出入り禁止でね。小学生の時なんか入りたくても入れてもらえへんかった。それでも中学の時、友達と忍び込んでね、電気工具動かしたんですわ。それで指を落としてしもうて。そういう不器用なとこを早い段階から親父に見破られてたのかもしれんですね。怪我したらやっぱり格好悪いなと思ったし、自分は不器用やから人一倍努力せなあかん、とも思ったし」

 家族は、彼が本気で継ぐ気があるのかどうか測りかねていたようだ。そんな心配をよそに、次第に大西は気持ちを固めていった。そして高校卒業後、正式に父親の十五代清右衛門に師事し、その後に大阪芸術大学への進学を決める。

「美学的なことや構築性などを勉強したかったんです。美術とはどういうものかを知りたかった。けど、思い通りにはいかんかったね」

 そんな大西を父親は黙って見ていてくれた。「いっぺん家から離れて自由にさせてもらえた」ことを、今さらながらありがたかったと思う。

 勉強のことはともかく、大学生活は大西に大きなものをもたらした。それは、「人」である。大学を卒業する際、その頃の仲間を工房にスカウトしてきた。その中の一人が今も工房で仕事を続ける後小路(うしろこうじ)であり、後にスカウトしてきた岸野も大学の仲間だった。

 その大学在学時から、大西は工房に定期的に出入りし始める。彼が家業を継承することになり、当時の工房にいた職人たちの彼に対する態度も「職人見習い」として扱うとでも言うべき、真剣なものに変わった。

「いやぁ厳しかったですよ。例えば、工房に行くとリンゴ箱に折れ曲がった釘の入った空き瓶が置かれていたりする。これを使って、自分用の椅子を作れというわけです。言われた通り作りましたけど、これはえらいとこに来たなと思いました。いや、自分の家なんですけどね」

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