いきなり社長に呼ばれるなんざァ嫌なもんですナ。何かドジなことでもあったのか、部下の不祥事でもあったのか、身構えてしまいますヨ。ひょっとして、アタシ自身が知らずに何かしでかしたのか、情けないですナァ、身に覚えがないのに、ビクビクするなんてシャレになりませんワナ。せん索しても始まりません、エイッとばかり、社長室へ…。

 「佐々木君、呼び出して、しかも変な話ですまないんだが、実は…」。なあんだ、相談なんですよ、これが。そんなことなら、ハナからそう言ってくれればいいものを、ビクビクした分、損したような感じですヨ。で、その相談てェのが、実は本当に変な話でして、「君も知っているだろう、例のY社長なんだ。先日、そこの専務から聞いたんだが、最近、ひきこもりになっているんだ。そう、あのひきこもり。小中学生ならまだしも、あんな立派な会社の社長が、出社しても社長室に引きこもったまま、朝から夕方まで出てこないっていうんだよ」。

 この会社、当社の先代からのお付き合い先の中堅メーカーで、もう、数十年来の取引先です。「ひきこもりって、社長なんですから、誰かにいじめられるわけはないでしょう。一体、何で引きこもっているんですか?」。「そこ、それが知りたいんだ。この話、聞いてから何回か電話したんだが、秘書はとりつがないし、避けているような気がするんだ。そこで、佐々木君、君の使命だが、そのわけを調査して欲しいのだよ」。はあっ? スパイ大作戦じゃあるまいし、サラリーマンを長いことやっていますが、探偵をやるなんて思ってもみませんでしたヨ。仕方ありませんヤネ、社長命令、とにかく行ってみましょうヤ。

 さてさて、ひきこもり社長がいる会社に行ってはみたものの、何か会社全体が暗い雰囲気に包まれています。アポを取ってお会いした専務も暗いのですヨ。アタシの訪問目的も薄々気付いているらしく、「いやあ、次郎さんも聞いたんですか、うちの社長のこと。ここだけの話ですが、出社して社長室に直行、社員に指示をするでもなし、会議に出席するでもなし、そして、取引先とのお付き合いの会食もしないで、自宅に直帰。ここ数カ月、ずうっとそれなんですよ」。事実なら、やはり変ですヨ。しかも、飛びっきり変ですワナ。出社したのに社長室に終日ひきこもり、経営者としての仕事を全く果たしていないなんて、変ですヨ。

 専務も困り果てた様子で、「次郎さん、理由はある程度分かっているんだが、誰もそれを言えやしない。もしも言ったとして、聞いた社長は激怒して終わり。それで困っているんです」。理由は分かっているが、でも、言ったらおしまい。これって、すご~く変ですヨ。ですから、いつもの赤提灯。専務をお誘いしたのです。

 「このあいだまで、うちの社長、実は、開発まっしぐらだったんです」。重い口をついて出た言葉が意外や意外、何と「開発まっしぐら」ですと。なのに、開発で引きこもり、余計にわけが知りたくなりました。「社長が張り切り勇んで取り組んだ開発、最初のうちはうまくいったのですが、そのうちにじり貧になって、最後は打ち切り。何の成果も出せずに終わったんですよ。その開発は、社長が言いだしっぺでしたから、しかも、社長になって最初の開発、そりゃあ思い込みもすごかった。しかし、そんな思いとは裏腹に、もろくもオシマイ、ジ・エンド。それが相当きいたようで、すっかり落ち込んで、『もう、二度と開発なんてやらない!』と、決めてしまったようなんです」。

 まあ、開発てェのは、社長だろうが社員だろうが、うまくいくときもあれば、ダメなときもありますワナ。この場合、社長だからこその責任というか、社員に対してのシメシ、みたいなものを、必要以上に感じたんでしょうナァ。

 「オーナーですから、それはそれで分かる気もしますが、それ以来、社長室に引きこもり。そういうことなんですヨ」と、専務の口がますます重くなります。これを見たアタシ、「で、引きこもられて、何をしておられるのですか?」と聞くと、専務、途端に上目づかいになって、半分にらむように、「ソムリエ」と、ポツンと言うのです。「ソ、ソムリエって、あのソムリエ?」。「そう、そのソムリエ」。何と、ワインの目利きのソムリエを目指して、社長室で終日、受験勉強をしているというのです。

 「ソムリエの受験勉強って、実際、何をしているんですかァ?」。半分ビックリ、半分呆れて(ここは気付かれないように)聞きました。「高級ワインから中級、低級と、世界中のワインをかき集め、それを試飲するのです」と専務。ますます上目づかいで、絞るような声になってきました。

 「し、試飲って、じゃあ、社長室はワインの匂いで、一杯ですよねェ?」。「一杯じゃあ、すみません。夕方にはグテングテンですよ」。ははは、一杯の意味が違うようですが、そりゃあそうですヨ、朝から晩まで試飲したんじゃあ、たまりません。しかも、「最初のうちは、本当に勉強のための試飲だったんですが、そのうち、試飲が試飲じゃなくなって、本格的な飲み比べになってしまったようなんです。このままじゃあ、体を悪くして、死飲になっちまうんじゃないかと…」。専務、冗談言ってる場合じゃありませんヨ。

 飲むほどに酔うほどに…、専務も思いのたけを吐き出して、何かスッキリしたんでしょうか、いやあ、飲みました、飲みました…。

 翌日、二日酔いをこらえながら、社長に報告です。「そんなわけで、毎日社長室でワイン三昧、誰も止められないようなんです」。「そうか、それは困ったなあ。世話になっている会社だし、先代からのお付き合い。ここはひとつ、一肌脱ぐか」。というわけで、社長が自ら出向くことになりました。が、なぜかワインに詳しいということでお局も一緒に行くことに。

 それから数日後、お局から召集令状です。部長と3人でいつもの赤提灯。「例のワイン社長の話、報告するから集まってェ!」と、なんかお怒りのようですヨ。「ったくう、聞いてよォ。うちの社長ったら、行くまでは、『ワインを止めさせ、ちゃんと真っ当な社長業に戻す!』なんて豪語していたのに、ちょっと高級ワインを飲まされたら、ミイラ取りがミイラに。グテングテンになるまで飲んだ挙句に、『ソムリエ万歳!』って、バカじゃない? もう呆れてものも言えなかったわよォ!」。やはりというか、予想通りと言いましょうか、うちの社長の意志薄弱、見事に露見しましたゾ。

 今宵も、飲むほどに酔うほどに…。「あれじゃあ、社員がかわいそうよ。朝から飲んでる社長を見ながら働くなんて、バカらしくってやってられないわよ! なのに、うちの社長も、何なのサ、もう!」。「いっそ、俺たちもソムリエになるから、試飲を許してくれ、そう社長にお願いしてみようか。そうしたら次郎さん、朝から宴会、それも高級ワインだぜェ」。「おいおい、バカ言うなよ。第一、朝から飲んでたら、この赤提灯に来る楽しみがなくなっちまうじゃないか」。「そ、そうか、それは困ったナァ…」。う~ん、こんなアタシたちも困ったもんですが、マジに社員がかわいそうですヨ。

 と、お局が、「分かった! あの会社、高級ワインの輸入業を興せばいいのヨ。そうしたら、社長も立ち直るわ。趣味じゃなくて、事業にするの。そうすればいいのよ!」。おっと、そう来たか。しかし案外、それはアリかもしれません。「きっと、あの社長、ソムリエになるのが目的ではなく、本当にワインに興味があったのかもしれないわ。もし、そうでなくても、趣味を事業にすれば、それは開発。新しい事業開発をするのと同じじゃない、ねェ、そうでしょう?」。

 てなことで、翌日、うちの社長に進言しました。「そんな訳で、高級ワインの輸入業をやればいいのではないか、そのようにお話しするのはいかがでしょうか」。「そうか、それはグッドアイデアだ。世話になっている会社だし、先代からのお付き合い。ここはもう一肌脱ぐか」。というわけで、社長がもう一度出向くことになりました。が、なぜかお局も、また一緒に行くことに。

 さてさて、数日経って、また、お局から召集令状です。「例のワイン社長の話、報告するから集まってェ!」と、なんか怪しい雲行きです。「ったくう、聞いてよォ。うちの社長ったら、行くまでは、『高級ワインの輸入業、これから期待できる事業だし、当社も応援したいよナァ』なんて言っていたのが、ワイン社長が、『今度は日本酒の利き酒も始めたのでどうですか?』なんて言われてその気になって、またグテングテン。今度はミイラ取りどころか、アジのヒラキになっちまったのよォ。しかも、さんざん飲んだ挙句に『日本酒万歳!』って、もう呆れるより、バカバカしくってやってられなかったわよォ!」。あ~あ、ダメだこりゃ…。