「どうも、安い価格だけを前面に出しても、お客さんは乗ってこないんだ。一体、どうしたんだろう。今時、やはり安いのが一番じゃあないか、ナァ、そう思うだろう? 次郎さん」。部長が迷っているようですヨ。「これだけ景気が悪いのだから、安い方を選んでくれる、そう思ったのにそれが違うんだ。お客さんは何を考えているんだろう」。

 この話、大事ですヨ。アタシも、どうやら風向きが変わってきたようナ、そう思い始めていたところです。少し前まで、とにかく安くなければ買いません、そんなお客さんのココロモチが、どうやら変わってきたようですゾ。

 安くなくても欲しいものは買う、例えば、ハイブリッド車などが最たるもんで、決して安くはありませんヤネ。ましてEV(電気自動車)なんざァ、安くないのを通り越して、メチャ高い! なのに注目されていますワナ。確かに、まだまだ数が出ないというかもしれませんが、それにしても高いですワナ。補助金が出るのを当てにして買うシトもいるようですが、車格からいって、もう1ランクか2ランク上のクルマが買えますヨ。このハイブリッド、大衆車だけではなく、イタリアのスーパーカーもハイブリッドになるらしく、一体、値段はいくらになることやら。こんなこと、以前なら考えてもみませんでしたヨ。

 食べ物だってそうですよ。最近、東京のビジネス街の一等地、丸の内に開店したサラダバーのレストラン。新鮮野菜、それも契約農家直結の無農薬野菜が売りなんですが、決して安くはありませんヨ。なのに、いつも並ばなければ入れません。オーガニックは手がかかり、その分コストは上がるのですが、消費者はそれは百も承知で、自然がいい、無農薬が安心と、それが当たり前になっているんです。

 アパレルの世界も、元々ブランド物なんざァ、ハナから安くはありません。でも、イイものはイイ、高値安定のお手本みたいなもんですヨ。注目なのは、腕時計。よくもまあ、これだけあるのかと思うくらいの品ぞろえ、カタログ雑誌を見ると高級時計のオンパレードです。しかも、機械式の伝統的なブランドが売れ筋らしく、電波時計を持っているシトが、自分へのご褒美的に買うのだそうナ。

 よく考えると、アタシたち、たいていのモノは、もう持っていますワナ。クルマだって、時計だって、カジュアルのオシャレ着だって、背広にしても一張羅(いっちょうら)の勝負服、持ってるじゃありませんか。それに、食べ物だって毎日じゃあないけど、カラダにいいものを食べようと、気にしてますワナ。だから、スーパーで買い物する時も、食品の表示を食い入るように見る、これも当たり前ですヨ。要するに、イイコトをしたい、そんな風潮と言いますか、お客様の要望がそうなってきているようですゾ。

 そういう意味で、まだありますヨ。サッカースタジアムの床に圧電素子を組み込んだ発電システムが好評なんだとか。サポーターが応援しながらピョンピョンと跳びはねると、LEDライトが点滅するそうですヨ。発電量なんて、そりゃあ微々たるもんでしょうが、とにかく、人力発電という訳で、エコそのものですワナ。

 つまり、消費者は、モノ的にはすでに満足の域に達していて、これからは今までとは違うウレシサを求めているのじゃあないでしょうか。こうして見ると、アタシも含めて消費者が望むもの、いわゆるニーズてェのは、以前とすっかり変わっちまってるんじゃないですかねェ。

 消費者が喜ぶ商品なりサービスを提供している企業のコンセプト、あるいは大切にしているポイントも、以前とは違ってきていて、安全、環境、コンプライアンス(法令順守の管理体制)、そのあたりを大事にしているてェ感じですゾ。そして、消費者として買う側も、モノの良し悪しやコストより、そのモノの背景にある考え方やオペレーションという、コトに対する評価、あるいは、その行いが好ましいか好ましくないか、そのような判断基準に移行していると思うのですヨ。これって、価値を認める判断基準が変わってきたということで、実は、そこに新しい価値が生まれているてェ事ですヨ。

 振り返ってみれば、コストやスピード、そして量的拡大といった、今まで大事にしていた考え方や価値観は、ひたすらイイものをより安く大量に供給しようというために必要なことだったんですが、どうやら、その価値観の役割が終わったのかもしれません。それは、モノからコトへ、つまり、モノの価値観からコトの価値観、言い換えれば、モノのステータスから、コトのステータスに代わったということですヨ。要するに、価値観が代わると、そこに新たな価値が生まれる、それが大切てェ事ですナ。

 しかも、いろいろな価値観があるてェわけで、その価値観の多様性も、ある意味でビジネスチャンスではありませんかねェ。例えば、少量で多品種のものづくり、昔は嫌がったことですが、今になっては、お客様に合わせて、少数派の価値観に対応する、それが大切てェことで、言わば、価値観を大切にするてェことに価値を見出すことが、付加価値てェことなんですナ。

 さてさて、いつもの赤提灯。価値観の価値、何やら禅問答ですゾ。

 お局の価値観、聞きましたヨ。「う~ん、価値観って、例えば、道端に咲く小さな、名前も分からないようなお花を見て、きれい、そう感じるってことじゃない? お花に何も感じない人、それはそれでいいのだけれど、アタシは感じる人が好き! それがアタシの価値観かな…」。「花より焼酎…じゃなかったの?」。部長がつぶやきます。

 続けて、「そんな人に出会ったら、もう、ほかには何にも要らないワ。宝石だってお洋服だって、もう要らない! 二人でお散歩して、道端に咲いてる小さなお花を見て歩く、それが、一番のシアワセよォ!」。オイオイお局、アンタ、本当にそれでいいのかい? あれが欲しいこれが欲しいと言ってたのは、一体、どこの誰だよォ、と言うのを飲み込んで、「じゃあ、誰かいいシト、できたのかァ?」。

 「うふふ、次郎さん、そんなアタシの価値観に合う人なんているわけないじゃない。第一アタシ、モノだってもっともっと欲しいのよ。今よりイイモノがあればネ。アタシは、次郎さんが言うように、モノからコトの価値観じゃなくて、モノとコトの価値観なのよ!」。

 う~ん、お局、アンタはやはり大物だあ!