黒石真史氏
黒石真史氏

 もう一昔前との感があるが、自由民主党政権の小泉内閣は「大学発ベンチャー企業」という仕組みをテコに、日本でのイノベーション創出を試みた。

 経済産業省は平成13年(2001年)5月に新市場と雇用の創出を目指す構造改革の“平沼プラン”として「大学発ベンチャー1000社計画」を発表した。平成14年度から16年度(2002年度~2004年度)までの3年間に大学発ベンチャー企業を1000社を設立するプランだった。これによって日本に新しいイノベーション創出のやり方のを追加させる計画だった。

 その事後調査として、経産省が実施した平成20年度(2008年度)「大学発ベンチャーに関する基礎調査」実施報告書によると、大学発ベンチャー企業は平成21年2月の調査時点で、1809社が活動中と報告された。当初の目標の1000社を大幅に上回ったとの調査結果となった。設立された累計総数は2121社に達した。しかし、多くの大学発ベンチャー企業は、一定の事業規模を持って安定して活動しているとはいえないのが実情だ。この結果、人材雇用に貢献しているとは言い難い状況といわれている。多くの大学発ベンチャー企業は事業を構築中で、赤字経営を続けているとみられている。

 大学発ベンチャー企業の中で成功例とされるのが、IPO(Initial Public Offering、新株上場)などを実施した企業だ。今後の事業展開を本格化させるための事業運営資金を獲得するIPOなどを実施した企業数は2008年度時点で24社に留まる。このIPOを果たした企業も、安定した事業を展開している企業はほとんど無いのが実情だ。つまり、日本には大学発ベンチャー企業を創業する独創的な事業シーズ(大学の研究成果)はあったが、新規事業を生み出す経営チームを組んで事業展開する資金を供給する仕組みが未成熟だったようだ。

 大学発ベンチャー企業を育成する役目は“リスクマネー”を投資するベンチャーキャピタル(Venture Capital=VC)が果たすのが、米国では一般的だ。VCは、投資した当該ベンチャー企業の経営陣に適時、アドバイスする“ハンズオン”と呼ばれる支援を行う。場合によっては、取締役として経営陣に加わり、支援することも珍しくない。

 日本のVCは米国に比べてベンチャーキャピタルの企業規模が小さく、VCが組む投資投資ファンドの規模も小さい。最近の統計資料では日米の差は約1/20とされるが、「実態は1/100以下」という関係者が多い。この結果、ベンチャー企業に投資されるリスクマネーの総額が小さくなる。日本の多くのVCは銀行や証券会社などの子会社などの関連関連会が多く、米国のように独立系では無い点が特徴になっている。ただし、少数だが独立系のVCもある。その独立系の代表格の一つがウオーターベイン・パートナーズ(東京都世田谷区)だ。日本の大学発ベンチャー企業に投資し育成してきたウオーターベインの黒石真史代表取締役・パートナーに、起業家というイノベーターを育成するイノベーターとしての経緯などを聞いた。

 ウオーターベイン・パートナーはバイオテクノロジーなどのライフサイエンス系分野の大学発ベンチャー企業を投資対象とする独立系VCだ。ライフサイエンス系に特化した理由は「大学の独創的な研究成果(技術シーズ)が新規事業起こしにかなり威力を持ち、これを基に生まれた特許などの知的財産が強い武器になる可能性が高いからだ」と説明する。

 大学発ベンチャー企業の成功例の多くはバイオテクノロジー系から生まれるとの見通しは、日本の多くのVCが取った判断だった。多くのVCがバイオ系大学発ベンチャー企業に投資した。バイオテクノロジー系分野は、大学発ベンチャー企業が目指す新規事業の目標が明確だと判断され、ハイリスクだがハイリターンが見込めると判断した結果だった。

 ウオーターベインも、バイオテクノロジー系分野の大学発ベンチャー企業を大学の研究成果が効果的に生かせるという点から投資対象に選んだ。2003年12月に「ウォーターベイン・テクノロジー1号投資事業有限責任組合」という投資ファンドを組んだ。出資組合員は日本政策投資銀行や東京中小企業投資育成、三菱商事などで、総額約23億円の投資ファンドとなった。他のVCが組んだ投資ファンドとの違いは、バイオテクノロジー系分野の大学発ベンチャー企業の創業前や創業時などの“アーリー”前からハンズオンの支援をするという点と長期的な視点で支援を続けるという点だった。

 独立系VCだけに、大学発ベンチャー企業の創業前から親身の相談に乗り、最適な助言を出し続けることしか相手企業の経営者との信頼関係を築けなかったといえる。優れた支援は相手企業を助けると同時に、自分たちの信用力を高めることになった。

 黒石氏たちが日本では珍しい独立系VCのウォーターベインを設立したのは、2002年9月だった。同社の経営チームを現在も構成する4人がパートナーとして参画した。「お互いに信頼できる経営チームを組めたことが同社設立の原動力になった」という。財務などの経営が分かり、研究成果の科学価値を評価でき、粘り強く事業計画を練れる少数精鋭のチームは、大学発ベンチャー企業のハンズオンには不可欠な陣容だった。

 2002年9月の設立前から、当然VCとしての活動を始めていたが、肝心の投資ファンドを組むまでには当初の予想より時間がかかった。銀行や事業会社などに投資組合員としてファンドに出資してほしいとお願いし、同意を得るのにはやはり時間がかかったからだ。この場合も、黒石代表取締役が以前にいたベンチャーキャピタルでの投資実績などが効果を上げたようだ。

米国大学院でのMBA取得が契機に

 黒石代表取締役が独立系のVCを始めるきっかけは、1993年に入学したニューヨーク大学大学院でMBA(経営学修士)コースでインキュベーションの講義を受けたことだった。当時、米国の大学院でMBAを取得する日本人留学生は増えていた。多くの留学生は財務などのファイナンスを学びにきていた。新規事業をつくり上げていくインキュベーションの講義を取った日本人留学生は黒石氏一人だけだった。これまでにはない新規事業をつくり上げていくインキュベーションについて「米国で実際に手がけている実務者の講義はとても実践的で面白かった」という。