世の中にはTwitterというものが流行っているそうである。既に,あちこちで話題になっている。今更の感もあるが,「温故知新」。まな板にのせてみよう。

 チャット化したブログによるSNS(Social Network Service)という感じだろうか。なんだチャット,なんだSNS。いやー,情報技術は分かりにくい。技術の変化が激しい上に,仲間内言葉が排他的である。

 ここでは,もう一つ4字熟語に登場願おう。「不易流行」である。「不易,変わらぬもの。流行,変わるもの」である。Twitter,話題になるのだから,何か新しい面はあるだろう。それが流行。もっとも,話題にする人間自体は何千年も何万年も前から変わらない。数千年前の古事記も源氏物語も今の人の共感をさそう。それが不易。この両面が分からなければ本性を掴んだとはいえない。それで,Twitter。無事に料理できたら拍手喝さい。

 さて,Twitterは140字以内のつぶやき(twit)。それにフォロワーと呼ばれる方々がつぶやきを重ねていくシステムである。インターネット技術であるので,パソコン,携帯電話などを使って何時でも,何処でも,つぶやくことも,つぶやきをフォローすることも可能である。いいねー。世の中には,一人でしゃべくり倒す人がいる。人の話を聞かない輩が沢山いる。140字ごとに,つぶやき手が変わる.これが特徴である。

 論文指導は大学教員の大事な仕事。まともに文章を書く教育を受けてきていない大学4年生に卒論を書かせることは容易ではない。私の指導は簡潔である。「一文,100字以内。読点は一つ」。この文章も,これを原則としている。句点,すなわち「。」までは100字。これが人間の限界である。これ以上はバッファーオーバーフロー。論理を追えず,聞き流すことになる。読点「,」が一つとは,一文に主文が一つ,副文が一つという意味。すなわち,「AならばB」より複雑な文章を書くなということ。これは,述語論理の枠組みで論を重ねろということを示している。

 140字以内のTwitter,これは一文以上は書くなという制約である。それでは温故知新。これに似た形態を過去に求めれば,それは連歌。「五,七,五」の上の句と「七,七」の下の句を交互につなげていくものである。ここでは,つぶやきは最大17字。Twitterは,まだ甘い。もっとも,上の句だけを独立した作品にした松尾芭蕉はえらい。17文字に世界を込めた。

 情景や感情を短い文に凝縮して連鎖させていく連歌は,それなりの技量が不可欠である。しかし,Twitterは140字。素人でもOK。これが「流行」。新しい世界である。しかも,名人二人の読み合いではない。数万人のフォロワーが観戦するだけでなく,参戦可能。一つのリングから無数のリングが派生していく連歌会場である。これは新しい。もちろん,情報技術の成果である。

 そもそも,社会は人と人のつながりでなっている。これは「不易」。学生は物事を覚えるが,社会人は「知っている人を知っている」ことが重要である。つまり,一階述語論理から二階への飛躍。だから,昔のブローカーは人的なネットワークで商売ができた。大学教員も例外ではない。米国や欧州の先生を知っているだけで商売ができた。しかし,インターネットは状況を変えた。誰でもがWebから情報を仕入れることができ,メアドさえ手に入れれば誰にでもアクセスできる。これは「流行」。

 今や紹介は不要。昔のブローカーは商売にならない。しかし,「不易」を見つめれば新しいビジネスモデルを構築できる。その一つがTwitterである。沢山のtwitはフォロワーにより淘汰される。誰でも参入できるから母数は多い。玉石混合の無秩序連歌会場。会場をガイドする人も必要。そして,何より貴重なのは,沈黙の金がtwitし始めたこと。しょせん,雄弁は銀。さあ,高々「銀」のコラムを離れて,「つぶやき」の会場で金を拾え。もっとも,見渡す限り石だらけの会場。お守りは「不易流行」。