まあ、極めて乱暴な計算だから、数字自体に意味はない。けれども、ちょっと前提を変えるだけで「効果的」と思っていたものが「実は弊害の方が大きいかも」ということになりかねない、という部分はその通りなのではないかと思っている。

効率化で失うもの

 例えば、いま手掛けている書籍にこんな話が出てくる。著者は「開発プロセスの改革」を手掛けるコンサルタントなのだが、このところ「技術者がものを考えなくなってきた」との声を現場で聞くことがめっきり増えたといい、その原因について以下のように分析している。

 その最大の要因に、多くの技術者がうすうす気付いているように「設計効率化のみを追い求めすぎてきたこと」があるのだろう。昨今、技術者に求められていることは、期間を短縮する、設計工数を削減するなど、「減らす」ことばかりである。以前より安いコスト、短い開発期間で完了させることが求められ、実際に以前より少ない予算と短い期間しか与えられなくなっている。時間的にも資金的にも余裕がないから、チャレンジをしない。チャレンジをしないなら工夫を盛り込む必要はない。工夫がなくても済むようにと過去をトレースする。まねをする。まねをするだけなら、考える必要などないだろう。
 検証をする上長の側の事情も同じである。期限までに時間的な余裕がない。時間がないから検証が疎かになる。検証が疎かになっていることが分かっているから、開発担当者も深く検討しないまま検証会に出てしまう。こうして、益々考えることが疎かになっていく。

 すなわち、コスト削減と引き換えに創造力が失われているという指摘である。やはりコンサルタントをやっている友人に「こんな説があるんだけど」と聞いてみると、深く頷きながら「そうそう、考えないというより、考えてもムダという雰囲気が蔓延するんだよね。それがヤバいのだ」という。いわゆる「士気の低下」が重大な結果をもたらすのだと主張したいらしい。

 士気、あるいはモチベーションと呼ばれるものの低下は、それ自体が生産性を低下させる大きなリスク要因だが、それによって挑戦する気概は消え、こぞって保身に走るようになるという副次的な弊害を招く。その結果として、せっかく卓越した創造力を持っていても、それが発揮されることはなくなるのである。「使わない機能は退化するもので、そんなことをしばらく続けていると、もう二度と昔には還れなくなるわけ。結局のところ、コスト削減分以上のものを失っているんじゃないかと思えるケースがけっこうあるんだよね」などと恐ろしいことをおっしゃる。

「おびえる労働者」

 こんなデータがある。NTTレゾナントが中小企業を対象に実施した調査結果によれば、企業が実施したコスト削減によって社員の6割以上が「モチベーションは下がる」と答えた。経営層も認識はあまり変わらず、過半数は「コスト削減が社員のモチベーションを下げる要因になっている」と考えているのである。では、何とかしたかと思えば、そうでもないらしい。社員間で不満が出ていると感じている経営層のうち、対応策を実施していると答えた人はその約3割にとどまっているのである。