世の中,予定調和とは中々いかない。この月1コラムにも一応予定があるが,今回も変更である。Priusのリコール問題もようやく落ち着いてきた。私もこのコラムなどを通じて,組込系の問題を論じてきただけに対応に追われた。問題が生じて一月ほどとなり,問題の本質が見えてきたようである。ここでは,我がTech-On!の調査をベースに考えていこう。

 まず,このリコールはソフトウエア単体の問題ではない。油圧ブレーキシステム,回生ブレーキシステム,そしてABS(Anti-lock Brake System)の三つが絡んだ問題である。単体テストではなく,統合テストに属する部類の問題である。

 次に,技術者目線からはリコールしたことに不満が残る。停止を目指して回生ブレーキがフル稼働している段階で濡れた鉄板上を通過した際スリップを起こす。それでABSが加入する。ABS加入時には,休んでいた油圧ブレーキシステムの油圧が低下している。そのため,コンマ数秒間はフットブレーキを操作しても油圧ブレーキの利きが緩い。Tech-On!によれば,このようなメカニズムの中の「油圧ブレーキの機器が緩い」分を問題ととらえて,ソフトウエア改修を行ったようである。

 ABSは,Anti-lock(固定解除)システムである。ブレーキが作動しているのに,車が滑っている時に働く。このような時,車は制御不能に陥っている。つまり,ハンドルも,アクセルも,ブレーキも利かない。だから,Anti-lockである。ブレーキを解放することで,車輪が転がるようになり路面とのグリップを取り戻す仕組みである。

 グリップを取り戻せば,再度,ハンドルも,アクセルも,ブレーキも回復する。つまり,制御を取り戻すことで,安全にしかも制動距離が短くなるという仕組みである。濡れた路面でブレーキが利いていると危険だから緩める機構がABSなのに,ブレーキが利かないとクレームをつけられた。これは,技術者には納得がいかない。

 地球防衛軍が地球を守れないからウルトラマンを呼んだ。ウルトラマンは現れたが,すぐにスペシウム光線を打たない。それを防衛軍から非難された。ウルトラマンにも事情がある。昇圧しないと光線は出ないだとか,大技だけに相手の隙を狙わなければならないとか。その事情を理解してもらえず非難されるウルトラマン。可哀そうである。

 一方,ドライバー側から見るとコンマ数秒でも自分のコントロールが利かないことは恐怖である。もっとも,制御はABS作動時に失われている。それをドライバーが認知していない。技術者は,それはドライバーに問題があると切り捨てたくなる。しかし,切り捨てられなかったのが経営者であり,リコールに至ったということのようである。

 ご承知のように,この問題はトヨタに留まらず,自動車業界全体に波及している。他社も続々,リコールを申し出ている。自動車業界に留まらず,電子制御が関わる全ての業界に波及している。実は人とコンピュータとどちらがどのように機械を制御するかという21世紀の深淵な問題への扉を開きつつある。それは,コンピュータを使用している全ての業界が関わることになる。つまり,社会的な問題である。

 技術的にはデーターレコーダーの導入,情報公開,部品の相互監視,テスト強化などが必要である。社会的には,一義的にはメーカーの啓蒙強化が避けられない。取扱説明書に,ABS作動時の警告を乗せる以上の説明責任が求められている。もちろん,メーカーだけでなく,我々のような電子制御に関わる人間にも責任が求められている。

 この啓蒙には,ドライバーの教育も含まれる。ハリー・ポッターは魔法使い。しかし,魔法を使うためにはホグワーツなる魔法学校で長年の教育を受ける必要がある。現在,携帯電話一つで家電も決済も操作できる時代である。その操作方法はどこで教えているのだろう。正規教育を受けた魔法使いは皆無で,ノラ魔法使いが世の中を闊歩している。

 自動車も同じである。特殊な人が運転する時代は終わった。日本国民のほとんどが自動車免許を持っている時代である。急速に電子化された仕組みと使い方を現在の教習所では教えているだろうか。また,私のように何十年も前に免許をとったドライバーに適切な教習が行われているのだろうか。ABS,BA,VSC,TRC,ヒルスタートアシスト,EPS,VDIM,PCS。これはトヨタ車の取扱説明書に羅列されている言葉である。誰が全部を知っているのだろう。足代わりに車を使っている大多数のドライバーの内,この中で一つでも知っている単語があるのだろうか。

 自動車,家電,携帯電話。21世紀に入って全てが急速に世の中を変えている。技術屋は消費者目線に立って製品開発をしなければいけない。しかし,それだけでは足らない。消費者に仕組みを分かっていただかなければいけない。消費者はリコールで満足してはいけない。技術を説明するように技術者やメーカーに迫らければならない。もっとも,諸刃の剣。同時に,自分も便利な道具に囲まれて安住していてはいけない。世の中がどうなっているのか,自分を守るためにも勉強しなければならない。

 偉そうな言葉は諸刃の剣。天に唾すれば,自分に帰ってくる。大学は,このような啓蒙ができる場であり,啓蒙する義務がある。大学人こそ,社会に出て技術を説明しなくてはいけない。そのような気概で,このコラムの執筆とPrius騒動のマスコミ対応をさせていただいた。分かったことは,勉強不足の方が多数いらしたことと,僅かながら良く勉強されている方がいたことである。この騒動の締めくくりに当たり,一言。

 電子制御を始め,コンピュータを利用した設計,開発,検査の発展で交通事故死傷者は,この10年で半減している。車は危険である。だから,安全システムも複雑になる。もっとも,ABSなどの効果は単独事故中心であり,人と車,車と車の事故を減らすにはITS(Intelligent Transportation System)のさらなる普及が必要である。これは自動車と携帯電話が絡んだシステムである。 この複雑化したシステムに対する説明責任が求められている。私にも責任がある。確かに。しかし,私だけでは足りない。