なんだ、そうだったのか。それは「もみじの葉っぱ」であると彼は早合点してしまった。ここで彼のために弁解しなければならない。広島県の木も花も、もみじなのである。有名なもみじ饅頭もある。そんなギザギザの形を示されれば、それをもみじだと認知してしまうのは、広島県人として仕方のないことなのである。

 そんなわけで彼は、「なーんだ」と思ってしまった。それなら周囲にいくらでもある。「オレたちにだって作れるじゃん」ということでその葉っぱを集め、英和辞典の紙で巻き、仲間を集めて極秘の試吸会を開くことになった。私も友人宅で決行されたその会に招待され、吸わされた。けれども、濃厚な焚き火の味がするばかりで、ちっとも気持ちよくはならない。正確にはあまりの煙さにむせて少しクラクラしたような気がするけど、それはちょっと本来の目的とは違う。

 その事件以来、Aは一部のクラスメイトから軽い蔑みを受けることになったが、それが彼を発奮させもした。何としても気持ちよくなりたいということで、その手の物質探索に打ち込み始めたのである。

 情熱は周囲の人をも動かす。私たちも結局は協力することになった。もっとも、対象は合法かつ一般人が入手できそうなものばかり。アウトローをきどっていても「あそこから先はまじヤバい」くらいの良識はあったのである。こうした制約下、「あれは、たいそう効くらしい」とか誰かが言い出せば片っ端からやってみるという熱心なクラブ活動が続いた。バナナの筋とか、小鳥の餌や七味唐辛子の中に混じっている麻の実とか、アンパンの上に振りかけられているケシの実とか。すべてムダな努力だったけど。

「ホンモノのホンモノ」の威力

 そんな情熱が一気に醒めたのは、大学に入り化学の講義でこんな話を聞いたからである。「麻薬ってあるでしょ、あれって、結局は類似品にすぎんのだよ君たち。じゃあ本物とは何か。それが人間の体内で合成される神経伝達物質というものなのである」と。神経伝達物質の一部は脳内麻薬とも呼ばれ、快感、高揚感などの感情などを引き起こす一因にもなり、強い鎮痛作用を示すものもある。その分子構造の一部が極めて近いものに麻薬と呼ばれるものがあるが、「しょせんはニセモノよ。効果は脳内麻薬の足元にも及ぶところではない」などとその教授はおっしゃる。

 そうだったのか。焚き火味の似非麻薬などを試して喜んでいる場合ではなかったのである。本物の麻薬だって実は模倣品で、その「お手本」はわれわれの体内でキチンと作られているのである。ニセモノだってかなりの効果らしいから、本物の脳内麻薬がドバドバ出たら大変なことになるに違いない。これは素晴らしい。しかもタダだし。