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図1

 表具制作は、いきなり極めて重要な工程から始まる。すなわち「コンセプト立案」。全体のデザインを決め、使用する裂(きれ)などを決めるのだ。依頼主から特段の指定がない限り、表具師がその全責任を負う。

 掛軸は、いくつかの重要なパーツで構成されている。それを大別すれば「本紙」と呼ばれる作品と、表具部分の裂地や紙で、もっとも一般的な「三段表装」と呼ばれる表具では、本紙の上下を挟む帯状の部分を「一文字」、その外側の本紙をぐるりと囲む部分を「中廻し(ちゅうまわし)」あるいは「中縁(ちゅうべり)」、その上下に最も広い部分を占める部分を「上下(じょうげ)」あるいは「天地(てんち)」と呼ぶ。

 これら各部分の「取り合わせ」には、作品についての知識や理解はもちろん、経験や美的センスが欠かせない。それだけに「いつも一番苦労させられる」と北岡英芳はいう。経験40年の表具師にとってさえも大きな難所なのだろう。

図2

 同じ三段表装でも、最も格式の高い「真」、それに次ぐ「行」、最もくだけた「草」という形式があり、それを基本としたバリエーションも多くある。それぞれに名称があり、どういった本紙にどの形式を用いるかは、掛軸の用途や本紙の作者などに応じて、伝統的にほぼ定まっている。その「約束」を踏み外すと、表具師としての「見識」が問われることになるだけに、油断ができない。

 いま北岡が表装に取り掛かろうとしている作品は、松尾芭蕉が筆写した『和漢朗詠集切』。芭蕉が同時代の俳人、山口素堂の依頼によってしたためたもので、もともとは冊子だったが慶応2(西暦1866)年に分割され、断簡(巻物や冊子の一部を切り離したもの)となったものである。書かれているのは、早秋を詠んだ漢詩と歌である。

図3

 現状の表具は、生(う)ぶ表具、つまり慶応年間の分割された当時に施したと思われる表装。裂でなく紙を使った「紙表具」で、本紙の左右の表具部分を細くした「輪補(りんぽ)」と呼ばれる形式だが、本紙と共に分割の際に添付された証書が貼り込まれており、鑑賞するためというより記録保存のために表装されたもののようだ。そのうち本紙だけを切り抜き、鑑賞に適した表装に仕立て直すというのが依頼の内容である。

 掛軸の元の所有者は、森川如春庵(1887~1980年)。希代の数寄者、益田鈍翁より39歳も年下であるにもかかわらず、互角に渡り合い深く交流したという破格の茶人である。美術品のコレクターとしても名を馳せ、とりわけ古筆を愛好したことでも知られている。