「日本人は後発者の立場から効率よく先行の成功例を模倣するときには卓越した能力を発揮するけれども、先行者の立場から他国を領導することが問題になると思考停止に陥る。ほとんど脊髄反射的に思考が停止する。あたかも、そのようなことを日本人はしてはならないとでも言うかのように。」(p.89)。

 こうしたことから、内田氏は「こうなったらとことん辺境で行こうではないかというご提案をしたいのです」と言うが、少なくとも製造業ではそうした考えの先に展望が拓けるとは筆者には思えない。

 「辺境性」に基づくキャッチアップ戦略を超えて、世界を動かすメッセージや世界標準を自ら生み出す方向にマインドセットを変えていかないと、「日本」が存在できる領域はどんどん狭くなっていく。

 以前のコラムに書いたことだが、縦軸に量産化の度合い(下から規格量産品,中少量多品種品,一品ものと,上に行くにしたがって低くなる)、横軸に複雑度の度合い(左から右に行くほど上がっていく)をとって、各国の企業がどのゾーンに位置づけされるかを見ると、日本企業は中心部に位置する。「辺境」の日本がこのグラフでは中心に位置するのは皮肉な話だが、周辺に位置する企業は世界を動かす戦略を練り、「覇権」を握っているのである。中心部だけで食っていければいいが、だんだん周辺から押されて生きる場所がなくなる危険性もある。

 そこで、日本も周辺部に位置する国のようになるべきだと筆者などは考えてしまうのだが、本書で内田氏は、こうした考え方そのものが「辺境的」だと言う。「「外部にある『世界標準』に準拠してしか思考できない私たち。強化的にふるまえない私たち」をどうやってその呪縛から解き放つかということが問題になっているときに、「どこに行って誰に訊けば、やり方を教えてもらえるんですか?」とつい訊いてしまう、それが世界標準準拠主義なんです」(p.98)。

 「辺境性」の呪縛から逃れたと思っても、より大きな構造の「辺境性」という枠の中にまだ居るということだろうか…。前述したように、「辺境性」がどの程度の影響力を持ったものなのか、議論も多いと思うが、多かれ少なかれ私たちが「辺境性」というものに「支配」されているという現実を直視することは大切なことなのかもしれない。