内田氏によると、それは「私たちの血肉になっている」ということだから、かなり強い影響力があると見ているようだ。中でも特に考えさせられたのは、日本語の構造そのものに「辺境性」が影響しているという指摘だ。

 原日本語にはもともと音声しか存在しなかったと言われているが、漢字が入ってきたときに、それを正統な言葉(真名)とし、もともとあった音声言語を「仮名」として隷属的な地位に退かせたというのである。そして、漢字(真名)は男性語として正統な位置を占める一方で、土着の言語である仮名は、生の感情や生活実感などの「本音」を表現するという役割を果たすに至った。

 外から来た漢字に正統の位置を明け渡す、というところに「辺境性」がよく表れているが、面白いのは「仮名」という日本土着のものを組み合わせることによって、現実の生活者としての日本人が理解できる概念として「翻訳」する機能を果たしているという指摘である。確かに、どんな学問体系でも一通り日本語訳が出され、日本語しか使えなくともある程度のところまでは理解でき、日本語で議論できるようになっている。

 これに対して、清末の中国ではこれまで中国語になかった概念や熟語を新たに語彙に加えるということに抵抗感があり、外来語は音訳によって取り込んだものの中国語の意味体系に変更を加えることはしなかった。これが、西洋の近代化にキャッチアップするのが遅れた一因になっているという。

 外のものを「正統」の位置に置きつつ、日本独自のものをうまく組み合わせるという二重構造をとることは、日本の典型的なキャッチアップ戦略ともいえそうだ。

 例えば、日本が西欧の科学技術にキャッチアップできたのは、近代的な機械の中に、日本が伝統的に持っていた道具を使いこなす技能を上手く生かしたからだという見方がある(以前のコラム)。これは、欧米由来の資本集約型のものづくりを担当する大企業と、それを補完する意味での労働集約型のものづくりを担当する中小企業という二重構造にも表れている。こうしたケースを見ても、外来からのものに「主役の座」を明け渡すという辺境人としての潔さがうまく働いているということのようだ。

 ただ、ここで考えなければいけないのは、この辺境人としての特徴は、キャッチアップ段階にあるときには有効に働くが、そこから脱して自らが新しいものを作り出さなければならないときには、逆足を引っ張ってしまうということである。こと製造業についてみると、「辺境性」に基づいたキャッチアップ戦略はなかなか通用しにくい時代になってしまった。前述したように「辺境性」が日本人の血肉になっているとしたらかなり厄介な問題である。