額装の意匠設計も表具師の仕事。
額装の意匠設計も表具師の仕事。

 その役割を担ってきた職人集団が、表具師である。ただ、その仕事は掛軸を仕立てるだけにとどまらない。書画のあるところ、必ず表具師の仕事がある。

 そもそも、印刷技術が確立していなかった時代、書画というものの役割は途方もなく大きかった。書や絵は情報伝達のための重要な手段で、保存すべきものは巻物などに仕立てられた。書き手が高名な人物の場合、単なる伝達手段として書かれた書も鑑賞の対象となり、適当な大きさに切り取られ、掛軸などに仕立てられた。もちろん、当初から鑑賞を目的とした書画もあり、それらは巻物、掛軸のほか屏風や衝立、襖などに仕立てられ、今日でいう「インテリア・グッズ」として空間を演出する役割を担った。

 なかでも日本建築住宅の間仕切り調度として欠かせない役割を果たす襖は、その昔は屏風とともに絵師たちの創作意欲を大いにそそる描画スペースだったことだろう。実際、狩野派の絵師による大徳寺や二条城の襖絵など、多くの歴史的襖絵が今日では重要な美術品として扱われている。

図14

 時代は移り、寺社など特殊な建築物を除き、肉筆の書画を襖に仕立てる風習はほぼ絶えた。けれども、襖の新調や張替えは、未だに表具師の仕事である。現代でも街角で「表具」「表具師」といった看板を見かけることがあるが、その業態は「襖店」とでも呼ぶべき内容であることが多い。

 昔は違ったのかもしれない。襖、屏風から巻物、掛軸まで広く手掛ける工房が各地にあったはずである。近代化、生活の洋風化とともにそれらの需要は減っていった。そのなかにあって、襖の新調、張り替えという仕事へのニーズだけが、それなりの規模で残ったのであろう。

図15

 こうした状況にあっても、掛軸を手掛ける表具師が比較的濃厚に存在している土地が京都である。明治以降、高級で豊富な材料と需要に恵まれたことから、京都は日本の表具にとって中心地ともいえる地位を保ってきた。「京表具」は高級表具の代名詞として、京焼・京扇子・京指物・京菓子などと同様、高品質を意味する「京もの」の一つとして高名を維持してきたのである。

 明治末期、日本で初めての表具の展覧会「表展」が開かれたのも京都だった。表展は年を追うごとに社会的な注目を集め、大正14(1925)年には15日間で6万3000人を動員したと、当時の地元紙は報じている。

 京都画壇の作家たちが新しい日本画を求めて意欲的な創作活動をおこなった大正から昭和の初めにかけての時代は、表具の需要も増大し、まさに「京表具の黄金期」とも呼べる時代だったようだ。当時の京都市内にどれくらいの数の表具店が存在していたかは不明だが、昭和40年代にはおよそ600軒の表具店が営業していたという。