お正月なので、志も大きく、でっかいテーマにチャレンジしてみました。「生きるとは何か?」です。…ずいぶん大きく出てしまいました。技術者視点で考える時、比較的分かりやすいのが“還元論”でしょうか。良く言われる話ですが、人を構成する炭素原子は、一年もすると大半が入れ替わってしまうのだそうです。生き物を形作る基本単位はアミノ酸という分子です。アミノ酸は全部で20種類くらいありますが、昆布の旨味のもとでご存知の“グルタミン酸”もアミノ酸の一種です。分子式で表すとC5H9NO4。一つの旨み分子の中に炭素原子は5つ含まれています。

 動物の場合、この炭素を口にする食物から取り入れています。食べられる方の植物はその炭素を空気中の二酸化炭素CO2から取り込んでいます。太陽光のエネルギーと大気中の二酸化炭素から自分の身体を作り出しているのが光合成(炭酸同化作用)という現象です。人は絶え間なく自分自身を構成する元素を摂取してはアミノ酸という分子に作り直し、古くなってくると再度分解して、糞尿として体外に排出し続けています。生き物それ自身が死んでしまうと、土に戻って腐敗、すなわち微生物に分解され尽くし、最後はまた二酸化炭素に戻ります。火葬の場合はいきなり燃焼反応で二酸化炭素に直行です。

ハードは波である

 こういうわけで、私たちのハードウエアである身体とは固定されたものではなく、原子レベルでは毎日絶え間なく入れ替わっているのです。去年の正月ごろの私と今の私を比較すると、ハード的には全くリフレッシュされた別人になっているのです。しかし生きていてそのような実感はまるでありません。私も昨年の自分と比べると、また髪の毛も薄くなり、少しシワやシミも増えて、この一年で着実に劣化は進行しましたが、そっくり別人になった感はありません。この矛盾に関して、「生きるとは波である」という説明を聞いてなるほどと得心致しました。波とは浜に打ち寄せるあの波のことです。波間に浮かぶ木片をじっと見ているとその場で定常的に上下運動をしています。しかし波そのものを構成する水の分子は常に入れ替わっています。物質としては入れ替わっていても、波という姿かたちは何かそこに実在するモノのように振る舞っています。要は、生きると言う現象はその波のようなものなのです。2007年に大ヒットした、福岡伸一先生の著書「生物と無生物のあいだ」に詳しく書かれているので、是非ご一読下さい。

 私の身体を構成する分子は入れ替わっていても、私という“現象”こそが私の正体であり、その波動をもって私たらしめているのです。私とは、私と言うモノではなく私というコトなのですね。この波の説明には、何だかとってもすっきりです!心が晴れたような気も致します。ただ、「生命と非生命の違いはそこにあるのだ」と言われると、ちょっとひねくれてみたくなりました。