こうした現象の説明として、報酬系は「目立つことに反応する」ものだという考え方があるという。「つまり報酬系が活動すると私たちの目はまず何か大事なものに向く。そしてその大事なものに向かう行動はクセになる性質を持っている。この能力があるからこそ、動物は餌を取って食べることができ、異性との繁殖活動ができる。そう考えると報酬系は学習能力の基盤であるといえるのではないだろうか」(本書p.82)。

 「好きこそもののの上手なれ」という諺もあるが、「幸福感」や「快感」と「学習」の相関は高いということだろう。こうしたポジティブな面がある一方で、考えさせられるのは、「快」を求めて薬物に嵌っていく薬物依存症などのネガティブな面である。

 意外なことに、薬物によって強制的に報酬系を刺激し続けると、生体には常にバランスを保とうという復元力が働いて、むしろその効果を打ち消すような方向の力が働くという。例えば、麻薬依存者の脳の活動を画像で解析してみると、金銭的な報酬や言葉の報酬に対する脳の反応性が鈍いことが分かっている。「反応性が鈍いからこそ、さらなる『快』を求めてますます深くクスリにハマっていく。つまり薬物依存者はあくことなき快楽の追求者になったように見えるが、彼らは皮肉なことに『快』を感じることができないのである」(本書p.92)。

 このように、人間にとって「報酬系」は「両刃の剣」のようなものであるが、そもそも人間にとって何が報酬かどうかはどのようにして決まるのだろうか。原始的な食欲や性欲といったものなら分かりやすいが、「TPSを達成する」といった抽象的で「文化的」なことが報酬になるというのはなぜなのだろうか。

 人間は、より発達した脳によって、文化的、社会的な世界で生きている。その一方で、脳の中には食欲や性欲といった基本的な生存にかかわる報酬のメカニズムも持っている。おそらく、原始的な報酬のメカニズムを基盤にして、文化・社会的な報酬のメカニズムもつくっているということなのだろう。薬物依存というのは、原始的な報酬のメカニズムに「文化」が負けた状態といえるのかも知れない。

 「TPSを達成することが報酬である」と決めるのは、人間社会である。原始的な報酬のメカニズムを人間は抱えているということを理解したうえで、何が人間にとって「報酬」なのか、「幸福」なのかを皆で考えていく…ということなのだろう。