ちょっと脱線しますが、その意味ではソロバンも素朴な道具界の金字塔です。大昔の商売のシーンで、小石を動かして計算をしていた姿はいかにもありそうな感じがします。目の前で計算を実験するので、互いにわかり易いというメリットもあります。しかし小石に串を通して、数珠球を動かす作業に熟達すると、その動きが頭の中でもっと高速に再現できることは思いも寄らぬ副産物。珠算の達人はソロバン動作を頭の中でシミュレーションすることで、驚異的な暗算能力まで手に入れることができます。これなんぞは、到底想像力の及ばなかった潜在能力開発であって、何もないところからそこまで見越してソロバンに思い到ることは不可能でしょう。

 更に脱線しますが、常識的には思いつかない人間の習熟能力を考える時、ハンディキャップをお持ちの方々が道具を使いこなす様子を観ていると目から鱗のシーンに遭遇します。健常者が携帯のテンキーを使う際には、画面を見ながら親指操作でこなしていますが、視覚障害者にとっては画面を見る必然がありません。彼らの驚くべき使い方を紹介しましょう。テンキーの操作面を裏側にして手で包み込むように持ち、人差し指と中指を両方駆使して入力する方がいるのです。5本ある指の中で、元来最も敏感な触覚センサーは人差し指です。点字を読むときにも人差し指がメインで残りの指も一体となった「1本の大きな指」として紙面上の凹凸を感知しています。その最強の指を使うために裏向きに保持して打つんですね。

 閑話休題、着物についても同様に、着こなすまでに習熟が求められる点は同じです。着付けの教室があるくらいです。しかし対価として得られる拡張性の構造も同じ。体型の変化にも耐えられますし、帯の結い方などにもバリエーションが用意されていて、シーンに応じて様々なメッセージを込めることができるようになっています。このような着こなしのレベルだけでなく、着物そのものも縫い直して再利用が可能です。汚れたりほぐれたりしてきた端部をカットして再生することもできるし、小紋を羽織などに「仕立て直し」する習慣は自然に行われてきました。仕立て直しというハードウエアレベルでのリフォームから、着こなしというシーンに応じて最適化するソフト運用まで、拡張性を優先した衣類の捉え方をしているのが着物の特徴です。袖やポケット、ボタンやジッパーなど機能特化した部品が排除された見返りとして、このようにつぶしが効く構造を得ています。

 人のもつ潜在能力の開発と、道具が代替する機能のバランスを考えることが大事なわけですが、設計する側としては、どうせ同じ量の仕事を道具にさせるのなら、人に苦手な部分だけを取り出して置き換えると人にありがたく感じてもらえます。例えば流行の顔認識技術。笑顔を特定する技術もデジカメに搭載されるようになってきました。人の脳は、笑い顔と怖い顔が並んでいた場合、怖い顔の方をとっさに認識する性質があります。当たり前ですね、怖い顔の方が危険につながる可能性が高いわけで、速く察知して、逃げるか、戦うか、いずれにしても次の動作に備える必要があり、そんなDNAを訓練しなかった種族はその昔に淘汰されてしまったのでしょう。