ではそもそも、脳は記憶の断片のまま記憶するのではなく、荒唐無稽な「物語」をわざわざつくるのは何故なのか。著者のデイビッド・J・リンデン氏(米ジョンズ・ホプキンス大学教授)は、「左脳の『物語作成機能』のスイッチを『オフ』にできないからではないだろうか」と見る(p.300)。

 人間の脳は、進化の過程でスイッチをオフにできない機能を色々と作ってきたが、左脳の「物語作成機能」もその一種である。これ以外でよく知られているものに、小脳の「自分の動きによって生じた感覚を弱める機能」というものがある。例えば、自分を自分でくすぐってもくすぐったく感じないが、他人にくすぐられたらくすぐったく感じる。この機能は進化の過程で「獲得」したもので、オフにできない。これは、殴り合いの喧嘩が次第にエスカレートするといった「弊害」ももたらす機能ではあるが、自分の動きによって生じた感覚にはあまり注意を払わず外界によって生じた感覚に注意を払うことができる、といった人間が生き伸びるうえで重要なものである。

 これと同じように、脳は「物語作成機能」のスイッチをオフにできないという。これは、前述したように低次の感覚情報を統合して「物語」をつくってきたことが、進化の過程で高レベルの知覚にも引き継がれた進化上の問題である。

 脳の「物語作成機能」についてもオフにできないことによって、メリット的なものやデメリット的なものなどさまざまな影響を人間に及ぼすが、それらをひっくるめて「人間らしさ」をつくっているということのようだ。

 著者のリンデン氏が、「人間らしさ」の中で究極的なものとして挙げているのが「宗教」である。宗教の「教え」の中には超自然的な現象を記述したものが多いが、これは夢または夢に近い状態(トランス状態や瞑想状態など)で無意識にのぼった物語を素材にして、組み立てられていると見る。こうして結果としてできる物語は意識にのぼることになり、「教義」として広まる。

 さらに、「人間らしさ」に関する記述で重要だと思ったのは、こうして左脳が作り出した「物語」を「信じる」傾向があるという指摘である。著者は、科学者など学術の世界の人間に対して「証明はできないが、真実であると信じていることが何かありますか」との質問に対して、数多くの回答が寄せられたという調査の事例を紹介して、こう書く。