もともと日本メーカーの「持続的イノベーション」は日本市場の顧客を念頭に置いたものだ。中国市場の顧客に対応するには、追求する品質や信頼性のレベルを変える必要があるが、前述したようにものづくり能力の構築が顧客から乖離する傾向があるために、日本と同様の品質や信頼性レベルの技術や製品を投入しがちで、これが「過剰」をもたらすと考えられる。そして、その「過剰」な部分を隙として、顧客が望む品質や信頼性のレベルに合わせた中国メーカーなどの技術や製品が「破壊」するということになる。

 中国や米国メーカーは、前述したようにまずどの程度の収益を上げるかを考えるが、そのためには、顧客がどの程度の価格や性能を求めているのかを見極めないと戦略が立てられない。このため、顧客の要求を素早く汲み取れる、という「体質」をもともと持っている点が強みである。

 ただし、これらは短期的な話で、長期的に見ると事情は違ってくるだろう。前述したように日本メーカーはもともと、ものづくり能力を高めることによって製品の品質や信頼性を上げて来たが、その結果として、顧客がそれを使って信頼感を醸成し、ブランド価値が高まる、という効果ももたらしてきた。「ものづくり能力アップ」から「ブランド価値アップ」へとつなげてきたのであり、そこまでにはある一定の時間がかかる。

 つまり、中国市場では、時間的にまだ日本製品の品質や信頼性の良さを認知または理解していない段階だとも思われるのである。別の見方をすると、中国などの新興国市場では、まだ「持続的イノベーション」と「破壊的イノベーション」の区分けは流動的である可能性がある。いったん、中国の顧客が日本製品の技術や品質の良さを知れば、「過剰」から「適正」に振れて、「破壊的イノベーション」に「破壊」されにくくなる。

 この「区分け」がまだ流動的だと思う理由がもう一つある。例えば、「破壊的イノベーション」の主役に躍り出てきた中国メーカーを見ると、彼らの技術は、単なる物真似であったり、先進国メーカーが構築したプラットフォームに乗ったものづくりであるケースが多いことだ。その場合、同質化競争に陥って、技術革新が停滞(ロックイン)し、「破壊」するほどの存在にはならないケースも見られるのである。

 まだ流動的だとしたら、日本メーカーにとっては、日本製品の技術や良さを知ってもらう努力をすることが重要になる(これに関連した以前のコラム)。一方で、前述したような製品化プロセスからくる「過剰体質」を見直し、中国市場に合わせて過剰部分をそぎ落とす「二面作戦」が求められるのではないだろうか。

 中国メーカーにとっては、単なる物真似から「低コスト化技術」や「小型化技術」など中国市場に即した「破壊的イノベーション」の方向に進めるかどうかが課題であろう。

 それは、まず日本や欧米などの先進国の企業が開発した技術の中で、先進国では開花しなかったり、時代遅れになった技術の「復活」の形で現れているようだ。例えば、『現代中国の産業』では、先進国企業が開発した技術の内、先進国市場では開花しなかったものの、中国市場で巨大市場を創造した事例として、ビデオCDとPHSを挙げている。同書では、こうした事例を「脇道のイノベーション」と呼んでいる。

 さらにその先にあるのは、中国発の本格的な「破壊的イノベーション」であろう。それは、通信機器や自動車ですでに始まっているか、萌芽が見えているとも言える。「本格的」であれば中国国内に留まらず、グローバルに展開され、日本市場にもやってくるかもしれない。そうなった際には、日本はそれに謙虚に学び、さらにそれに対する「破壊的イノベーション」を起こすくらいの気持ちでいた方が良いのかもしれない。