半導体メーカーにとって、半導体チップとマザーボードを接続する実装技術は、半導体チップそのものに比べれば周辺技術であり、経営戦略面でも優先順位の高い技術とは言えなかった。しかし1990年代以降、実装技術の複雑さが増して、システム技術としての色彩が強まり、技術戦略と事業戦略が交差するホットスポットに変貌した。そこに気が付かなかったことが日本メーカーの敗因である---。

 日経マイクロデバイス誌2009年10月号に掲載された論文「DRAM日本勢の敗因を再検証,見過ごされた実装技術の真価」で、著者の一橋大学イノベーション研究センターの中馬宏之氏らがこう指摘している。同氏らはこれまで、同誌2007年3月号と4月号で日本のDRAMメーカーが競争力を下げた要因をデバイス技術と製品戦略の面で検証してきたが、この第三弾では、日本メーカーが抱える問題点としてのシステム思考の欠如を「実装技術」の視点から指摘している。

 なぜ実装技術分野で「システム」の度合いが高まってきたのだろうか。きっかけは、マイクロプロセサの高速化に伴い、マザーボードを伝搬する信号の品質が劣化し、マザーボード上に実装するマイクロプロセサやチップセットなどの各要素をどう配置したらよいかについて最適設計しないと性能が出せなくなったことであった。さらに、主用途がメイン・フレームやワーク・ステーションから、一般消費者向けのパソコンに代わってきたことも大きく影響した。メイン・フレームでは20層を超える多層基板を用いていたが、パソコン向けではより低コストな4層基板が標準となった。層数が少なくなればなるほど、各要素間の相互依存性が多くなって、さらにシステム設計が複雑化して難しくなったのである。

 「実装技術」は、半導体メーカーとシステム・メーカーの中間領域にあって、付加価値も比較的低いために、どちらのサイドも本腰を入れてこなかったきらいがあった。しかし、複雑度が増して難度が高まりボトルネックになったということは、そこを制すれば全体を制することにつながる---。このことに気が付いたのが米Intel社である。同社は本来マイクロプロセサメーカーであるが、チップセットやマザーボード含む実装技術全体をシステムとして最適化しなければ、いくら高性能なマイクロプロセサを開発しても使ってもらえなくなることに危機感を持った。これが「気付き」につながったのだろう。

 複雑化とシステム化に対応するためにIntelがやったことを整理してみると、一見正反対に見える二つのことを並行して進めてきたことが分かる。一つは、業界全体に声をかけてコンソーシアムなどを作って社外から知見を集めて実装技術上の難題を解決したこと(技術戦略)、もう一つは、マイクロプロセサとチップセットからなるプラットフォームの内部を特許で固めて互換マイクロプロセサメーカーを排除したこと(事業戦略)である(詳細は東京大学ものづくり経営研究センター立本博文氏の論文など)。まさに、技術戦略と事業戦略を同時に進行させたのである。

 実装技術の複雑化とシステム化は、日本メーカーが得意としていたDRAMの領域でも同じように起こった。前述の中馬氏らの論文によると、マザーボード上の信号品質の向上と基板総数の削減をもたらす手法として、1990年代初頭にDRAMのモジュール化が提案されたが、ここで日本のDRAMメーカーはIntelとは対照的な動きをした。モジュールの標準化を進める過程で技術を開示して、結果として日本メーカーの技術は“公共財化”されて、誰でも使えるようになったのである。日本のDRAMメーカーは価格下落に苦しんできたが、その種は自ら撒いたものだ。