技術者はマニュアルに囲まれている。設計マニュアル,生産マニュアル,販売マニュアルに設置マニュアル,維持管理マニュアル。最後は破棄マニュアル。マニュアル尽くしのマニュアル時代である。

 完璧なソフトウエアが無いことは世間で認知されているようである。マニュアルも完璧なものはない。ソフトが機械への指示書なら,マニュアルは人への指示書。機械も人も差がない今日なら,ソフトもマニュアルにも差はない。マニュアルをよく見れば,goto文も,ループもサブルーチンもある。クラス図や配置図もあるかもしれない。

 マニュアル時代に完璧なマニュアルがない。なかなか恐ろしい話である。確かにマニュアルと現実が相違して問題となることが多々ある。間違っていたら,ソフト同様にアップデートが必要である。誰が何時,アップデートするか。それが問題である。この観点から少し考えてみよう。

 ファーストフード業界は完璧に近いマニュアルをお持ちのようである。国内では同じ接客を受ける。海外でも同じ商品は同じ味。つまり,パテの焼き方から,ポテトの揚げ具合などを細かく規定しているに違いない。このタイプをマニュアル至上主義と呼ぼう。マニュアルに従って接客や調理をしているのはアルバイト店員。時給は1000円以下。年間2000時間働いても,年収200万円以下である。

 一方,新製品,新サービスに,企画イベント,O-157に新型インフルエンザ。アルバイト店員を取り巻く環境は目まぐるしく変わる。このファーストフードタイプの運営では状況が変われば新しいマニュアルが必要となる。誰かがマニュアルを製作し,改訂している。想像するに,それは年収200万円を遙かに上回る正社員だろう。責任者は役員でなければならない。そうすると,年収数千万円。正にアルバイト店員と桁違いの待遇である.給料の多寡の観点からは,マニュアル至上主義の会社ではマニュアルを作る側に回れという結論がえられる。

 ファーストフードは米国発の文化である。当然,我が国固有のやり方もある。今度は,こちらに視点を変えてみよう。我が国は秘伝の書である。マニュアルは隠すところに価値がある。しかも,最後は奥伝,一子相伝,口伝,または「見て覚えろ」という文化である。この間まで技術は形式知化されておらず,経験からコツとカンを養うOJTが主流であった。つまり,マニュアルとは嫡子の正当性を表すものであり,丁稚の目には触れていけないもの,または触れても意味が分からないものであった。

 これを逆手にとったものが日本の現場力である。現場が生産手順を変えて生産効率を上げたり品質を向上したりした。だから,マニュアル通りに作業しないことが自慢であった。この暗黙知を形式知化し,作業員で共有してきたことが,近年の日本式生産システムの強みである。つまり,QC活動に代表されるサークル活動である。現場発信の継続的なマニュアル改変のシステム化である。これをマニュアル熟成型とよぼう。良好なサークルは糠床。そこで熟成されたマニュアルは味が浸み込んだ糠漬けである。

 日本の現場力を活かす。それを考えると,この熟成型のシステム化が大事である。マニュアル至上主義でもなく,「見て覚えろ」式でもない。そして,熟成型はマニュアル自体というよりも,糠床に真の価値がある。その価値を見定め,定期的にかき回し,糠を補給し,風を入れることが日本版良き経営者なのかもしれない。即効性があるからと言って,糠を捨てて化学調味料で一夜漬けを作ることは老舗の味に取り返しの付かないダメージを与える。

 さて,マニュアルとはソフトウエアだと冒頭で述べた。今の計算機システムには糠床はあるのだろうか。Wikipediaは糠床かもしれない。オープンソースは糠床かもしれない。人類に役立つ酸化を発酵といい,害を与える酸化を腐敗と呼ぶ。人は身勝手である。インターネットは大きな糠床なのかもしれない。時に美味しく,時に命取りになる。皆様のマニュアルを味わって欲しい。干からびているのか,継接ぎだらけか,それとも熟成されているのか,美味しいのか,不味いのか。是非,味わって欲しい。