新製品の開発プロジェクトが佳境を迎え,毎日が大忙しの樋口くん。ある日,知的財産部のクミさんから「明細書」のチェックを頼まれました。特許の出願に必要な書類のようで,樋口くんの発明についていろいろとビッシリ書き込まれています。目を通してみると,文章が難解な上,自分の発明だというのによく分からない部分もあります。そもそも「明細書」とは何なのか。そんな疑問までわいてきました。

イラスト:やまだ みどり

 「明細書」は,特許出願に必要な書類の一つです。ほかに必要な書類として,「願書」(出願人や発明者に関する情報が記載されています),「特許請求の範囲」,「図面」(必要に応じて),「要約書」があります。

 ただし,一般に知的財産部の担当者から「明細書をチェックしてください」と言われたら,明細書だけではなく上記書類をすべてチェックするという意味になります。特に,明細書,特許請求の範囲,図面の三つは,権利範囲に影響を及ぼす書類であることから,これらをまとめて「明細書等」と呼ぶことがあります(以下,本稿でもそう呼びます)。今回は明細書等の大まかな役割を説明し,明細書等を読む際の具体的な注意点の紹介は次回に行います。

「権利書」と「技術文献」

 明細書等には,二つの“顔”があります。一つは,発明の技術的範囲を明示するための「権利書」としての側面。もう一つは,発明の技術内容を公開するための「技術文献」としての側面です。特許権は,独占排他的な性質(自らは独占的に実施でき,さらに第三者の実施を禁止できる性質)を持つ強力な権利です。その強力な独占排他権を与える代わりに,最新技術を世の中に知らしめることによって技術の発展を促進するのが特許制度の趣旨です。

 従って,出願する側は「権利書」を作成して権利範囲を明確にし,第三者が権利範囲を把握できるようにしなくてはなりません。加えて,技術文献を作成し,第三者が発明の内容を理解できるようにする必要もあります。前出の明細書等のうち,主に権利書としての役割を果たすのが「特許請求の範囲」,主に技術文献としての役割を果たすのが「明細書」です。

「上位の概念」を用いて記述

 今回のケースで樋口君は明細書等について難解という印象を抱いたようですが,その中でも特に読みにくいのは「特許請求の範囲」でしょう。なぜなら,第三者に簡単にかわされないように権利範囲を広く記載する必要があるため,実際の製品よりも上位の概念を用いて書かれているからです。

 「実際の製品よりも上位の概念」という部分がやや分かりにくかったかもしれないので,簡単な例で説明します。例えば,ある機能を実現するための素材として伸び縮みするものであれば何でもよく,ばねでもゴムひもでも同様な効果が得られる発明だとします。その発明について特許請求の範囲に「AとBをばねで連結する」と記載した場合,AとBをゴムひもで連結した実施品は権利範囲に入らなくなってしまいます。このようなケースでは,ばねやゴムひもの上位概念である「弾性部材」という言葉を用いて「AとBを弾性部材で連結する」などと記載することになると考えられます。具体的な表現を用いた方が実際の製品を思い浮かべやすいのですが,権利範囲という観点では特許請求の範囲の記載に具体的な構成を不要に追加するほど範囲が狭くなる傾向にあるので,発明の構成要素に関しては必要なものに限定して記載します。従って,樋口くんのような設計者がいきなり特許請求の範囲を読んでも,自分の製品に関する記述とは思いにくいということが起こり得るのです。

 ただし,権利範囲を広くしたいからといって特許請求の範囲の記述を抽象的にしすぎると,発明が明確でないという理由で拒絶されてしまいます。特許請求の範囲は,発明が明確になる程度に技術的要素を特定して記載する一方で,権利範囲が過度に狭くならないように一般性を残す必要もあります。ここが明細書等を作成する上で最も難しい部分です。だからこそ我々弁理士が皆さんの出願を支援しているのです。出願経験が浅いうちは,特許請求の範囲を読んでも,自分の求めている権利範囲がきちんとカバーできているのかが分かりにくいということが多いと思います。このような場合は,担当弁理士,知財部,職場の詳しい人などに質問するとよいでしょう。

「明細書」はなるべく具体的に

 一方,明細書は第三者が技術文献として活用するので,特許請求の範囲に記載されている発明の詳細な構成要素について具体的に書く必要があります。なぜなら,発明の分野に属する者が明細書に基づいてその発明を実施できる程度に明確かつ十分に記載することが,明細書の要件として求められているからです(このことを実施可能要件といいます)。特許請求の範囲で「こういう発明について権利がほしい」と出願する側が要求しているのに,明細書の記載が不十分なために第三者にとって具体的な構成が分からなくて発明を実施できないのでは,技術の発展に役立ちません。そうした不十分な明細書等を提出した人に特許権を与えるのは,発明を開示した代償として特許権を付与するという特許制度の趣旨に反しています

 本コラムの第3回で「開発初期段階のポンチ絵程度のものであっても特許を取得しているケースは多い」と書きましたが、あまりにも具体的構成が定まっていないものは「実施可能要件違反」として拒絶される可能性もあります。知財部や弁理士に相談してください。

 さらに,特許請求の範囲に記載されていることは,明細書中での記述によって裏付けられていることも求められています(このことをサポート要件といいます)。すなわち,特許請求の範囲に記載されていることは,明細書中で具体的に解説されていなければなりません。従って,いきなり特許請求の範囲を読んでもよく分からないという場合,最初に明細書の内容を読んだ上で次に特許請求の範囲を読むと,理解しやすくなると思います。次回は,そうした関係を踏まえた上で,明細書等をチェックする際に発明者が注意すべき点を紹介します。