図16

 ただ、目を引く、奇抜なことをやれば認められる世界ではない。それは、長い歴史を背負う伝統的美術工芸品としての宿命だろう。本筋を外しては、名刀は生み出せないのだ。そのことも踏まえてか、河内は百済(くだら)国王からの献上品と伝えられる七支刀(しちしとう)などの古代刀剣の復元を多く手掛けてきた。古きに学ぶという姿勢が、その核になっているのである。

 ただ過去の写しを作っていても、尻すぼみになるだけだ。それは日本刀に限らない。前の時代の技や理(ことわり)を正確に受け継ぎつつ、そこに時代性を注ぎ込む。そのための切磋琢磨、新たな技法や様式の創出があって初めて、時代を超えて評価されるものは生み出される。それを営々と繰り返していくということが、本当に伝統を守るということなのだろう。

図17

 そういう意味でも、河内は伝統の正統な継承者である。その彼が作った日本刀を手にしてみると、想像したよりもずっと軽いことに驚かされる。日本刀は道具だと河内はいう。だから、強度を失わないよう注意深く肉を抜き、軽く振りやすくするのだと。その刀身をみれば穏やかな湖面を思わせる青みがかった地鉄に白く霞がかった刃文がうねる。機能を考慮したうえで、さらに地鉄の肌目や刃文の美しさを追い求めていることがよくわかる。機能と美の共存。それは、名工中の名工である正宗(まさむね)や一文字(いちもんじ)一派、さらに河内が挙げた虎徹、真改、助広、清麿など、後世に名をとどめる名工たちがみな目指してきたことであり、日本刀に魅入られた人々が常に求めてきたことでもある。

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 ただ、美は見えても機能は見えにくい。だから、「作る者がよっぽど強い思いを入れてせんと」と河内は言う。
「僕は、いつ使われてもいいように作っているつもりや。試してみたことはないけどな」。そう続ける河内の自信のよりどころは、軍刀も作っていた宮入の教えを守って作刀をしている、ということだ。

 もちろん、再び刀を振るう時代が来ては困るし、そうなることもないだろう。それでも、常に使うことを想定し続ける。それこそが「史上最も強く、美しい武器」を作り続けてきた刀匠の系譜に連なるものとしての矜持なのである。(文中敬称略)