仕上場(しあげば)には静かな空気が流れる。
仕上場(しあげば)には静かな空気が流れる。

 現代において、刀が実際に使われることはなくなり、美しさを極限近くまで追い求めざるを得なくなっている。だから、過去の名刀と呼ばれる作品では許容されてきたような、わずかな不具合すら許されなくなっている。少なくとも、河内はそう考え、自らを律する。

 現代の刀匠たちは、自ら作った日本刀の実力を知る術が基本的には存在しない。居合いで竹や藁(わら)を切って切れ具合を確かめることはできるし、彼らが作る小刀などの切れの良さが、専門家たちをうならせる例も数多い。しかし、本来の人を斬る武器としての切れ味は分かり得ないのだ。

 刀が現役の武器であったころには、それがあった。実戦である。平時にあっても、実戦に備えるためにさまざまな評価が行なわれていたようだ。有名な例が、山田浅右衛門(やまだあさえもん)による試し斬りである。江戸幕府には御様御用(おためしごよう)という刀剣の試し斬り役が置かれており、その役目を務める山田家では当主が代々浅右衛門を名乗った。浅右衛門は斬首の役も兼ねており、罪人の死体を申し受け、その死体を試し斬りに用いたのである。

図11

 代替物を使った試し斬りも盛んに行なわれていたようだ。束にした藁を斬る「巻き藁試し」などは序の口、鉄、兜、鹿の角などを斬ったり、刀で打ち合うときの強度を知るために樫の棒で刀の両側面、さらには弱点である棟を叩くなど、さまざまな試験がなされていたのだ。

 こうした時代を生き抜き、評価を高めてきた「名刀」は今でも厳然と存在し、その製法に関しても、主な技法やセオリーは今日まで脈々と伝承されている。伝えられる刀としての切れ味を自らの作品にも与えるために、現代の刀匠たちは自分が理想として狙う名刀や名工の、時代や流派のメソッドに則って製作を行なっているようだ。

図12

 だが、日本刀は、ハイテク機器などのように、技術の蓄積によって不可逆的に進化していくものではない。名工の跡を継ぐものが必ずしも名工になれるとは限らないのである。このことは、日本刀が「技術だけで作れるものではない」ことを示している。伝えることが可能な技術に加え、伝えがたい個人技、人の感覚、美意識、さらにはそのとき入手可能な素材の質などをすべて足し合わせ、その複合体として成立しているものなのであろう。

 だから、科学が進化し、技術も知見も過去より多く蓄積されているはずの現代に作られる刀が、過去のものを必ず凌駕しているとは限らないのだ。実際、ある刀剣研究家は「鎌倉時代が刀のピーク」と話している。河内も「歴史の中で鎌倉の中期頃が、地鉄も刃文も一番いい」と言う。その後の室町時代の刀匠も幕末時代の刀匠もそしてわれわれもずっとそこを目標に、そこに迫ることを目標にしてきたのだと。