新製品の開発プロジェクトは,いよいよ中盤に差し掛かりました。樋口くんは,自分が担当している構造について新たな改良を施したところ,「これは,もしかしたら斬新な発明なのではないか。こういうものでも特許とれるかな」と思ったので,知的財産部のクミさんに相談してみました。発明の内容を一読したクミさんの感想は「ちょっと進歩性を検討する必要がありそうね」というもの。それを聞いた樋口くんは,急に自信がなくなってきました。「進歩性を検討する必要があるということは,あまりいい発明じゃないのかな…」。

イラスト:やまだ みどり

 今回は,発明の「進歩性」について説明します。進歩性のある発明とは,出願時の技術水準に基づいて当業者が容易に考え出せない発明のことです。発明を導き出す際の「困難性」と言い替えられるかもしれません。

 当業者 出願しようとしている発明の属する技術分野の技術常識などを有する者。

 進歩性がないと判断された発明は,特許として認められません。いくら新規性(新規性に関しては第6回と第7回を参照)がある発明でも,従来の技術に基づいて当業者が容易に発明できるようなものであれば,出願しても拒絶されてしまいます。通常の技術者が容易に思い付くような発明に特許権を付与することは,技術進歩に役立たないばかりか,かえってその妨げになるので,そのような発明を特許付与の対象から排除するためです。ちなみに,出願した発明が拒絶される理由としては,この「進歩性なし」が圧倒的多数を占めています。

進歩性がある場合,ない場合

 それでは,どのような場合において「進歩性がある」または「進歩性がない」といえるのでしょうか。まず「進歩性がない」発明の例としては,

  • 単純な設計変更による発明
  • 公知の材料の中から最適な材料を選択したことによる発明
  • 公知の技術を単に寄せ集めた発明

などが挙げられます。例えば,単に部品の配置を変えただけというもの,構造の強度を上げるために単純な補強材を設けたもの,似たような技術分野において普通に用いられている構成を単に転用したものは,進歩性がないと思われます。

 一方,予想を上回る有利な効果が得られる場合や,公知技術の組み合わせに加えて当業者が容易には思い付かないような一工夫がある場合は,進歩性が認められることがあります。

 ただし,進歩性があるか否かは,基本的に“ケースバイケース”としかいいようがありません。一言で「こういうものなら進歩性があります」と言い切るのは非常に困難です。また,ある程度の実務的な経験がないと,進歩性の有無を判断するのは難しいと思います。

判断できることよりも大切なのは…

 ここまで読んだ方の中には,「それなら進歩性について詳しく勉強した方がいいのかな?」と考えた方もいらっしゃるかもしれません。確かに,ある程度の知識を習得することは,今後の設計開発業務や出願関連業務に非常に役に立つと思います。しかし,これはあくまで私の個人的な考えなのですが,発明者にとって大切なのは,進歩性の有無を判断できることよりも,むしろ,自分の生み出した発明について知財部の担当者や弁理士に対して積極的に相談できる心構えを持つことではないでしょうか。というのは,発明に進歩性があるかどうかを判断したり,進歩性を主張できるようなポイントを見つけたりするために,知財部や弁理士が出願業務をサポートしているからです。発明者自身は進歩性がないだろうと思っていても,よくよく検討したら進歩性があったという事例は少なくありません。しかし,発明者からの提案がなければ,そもそも進歩性を検討する機会すら存在しないのです。

 今回の樋口くんのケースでは,進歩性を検討するのはクミさんや弁理士の役目です。樋口くんは「もう少し進歩性について勉強しないとまずかったかな…」「進歩性がなさそうな発明を持ってきて,クミさんに笑われたかな…」などと気にする必要は全くありません。知財部の担当者が進歩性を検討するのは,普通のことです。むしろ,自分が苦労して生み出した発明を積極的に相談する姿勢そのものを大事にしていきたいところです。

 以前,私が特許出願の手伝いをしている会社の知財部の方からも「経験年数の長い技術者はわりと積極的に相談に来てくれるのですが,若手の技術者は特許というものに対して委縮してしまっているのか,なかなか自分からは来てくれない」という悩みを打ち明けられたことがあります。実際に若手の技術者が開発した試作品などを特許出願という観点で見ると,面白みのあるポイントが意外に多いそうです。つまり,特許はハードルが高いという意識が強すぎるがゆえに,自分の判断だけで「これでは特許は取れないな…」などと考えてしまい,知財部や弁理士に相談するのをためらってしまっているケースが,多々あるということです。

「出願するほどのものではない」と考えていたら…

 実際には前述の通り,発明者自身も気づいていないようなところに,進歩性に関する意外なポイントが存在するということはよくあるのです。私自身も,メーカーで設計開発に携わっていたころ,自分の担当部分には特に出願するほどの発明はないだろうと思い込んでいたのですが,知財部の方に思いもよらぬ切り口で進歩性のポイントを見つけてもらったという経験があります。ある日上司から「特許会議」に呼び出され,「知財部の方々に,君が担当している技術を説明してくれ」と言われたので,心の中では「大した発明ではないけど…」と思いながら説明したのですが,いい意味で自分の予測は外れました。

 若手技術者の皆さまの中には,三日三晩考え抜いた末に思い付いたアイデアや,上司や先輩があっと驚くような発明でなければ特許にならないなのでは,というイメージを持っている方もいるかもしれません。しかし,日々の試行錯誤の中で生まれた一見地味に思える発明でも,十分に進歩性を主張できる場合があります。逆に,これは絶対いけるだろうと考えていた発明でも,よくよく検討してみると進歩性を主張するのが難しい場合もあります。このように,進歩性の有無は,自分の主観だけでは判断が難しいものです。もちろん,会社によって事情が異なるので,自分の意思だけでは勝手に相談できない場合もあると思います。また,誰が見ても明らかに単なる設計変更にすぎないようなものまですべて持っていってしまうと,さすがに知財部や弁理士も困ってしまいます。とはいえ,新たな構造を開発したときには,まずは知財部や弁理士に相談してみようという気持ちが大切だと思います。

 なお,進歩性についてもっと詳しく知りたいという方は,特許庁のウェブサイトで「審査基準」というものが公開されておりますので,こちらを参照してみるのもよいでしょう。