だから、刀鍛冶と研ぎ師の連携が大切なのだという。「刃文は焼きが不完全で、組織が混在した状態になっている。だから研ぎ上げた時にその部分が乱反射するわけや。それを見極めどう出していくか、どう乱反射させるか」。そこに研ぎ師の腕が発揮される。だから自分の作る日本刀の特性を熟知した信頼できる研ぎ師が必要になる。例えば古来の名刀と呼ばれ、代々受け継がれ、研ぎ続けられてきた刀でも、たったひとりの下手な研ぎ師が入るだけで鈍刀に見えてしまうという。
研ぎ師に出す前に施す「樋かき」や「茎仕立て」は、自作のセンやヤスリを使って行なわれる。センで削って作る樋は、鎬(しのぎ)地部分に彫る溝である。これがあることで、縦方向への強度を保ったまま、軽量化を図ることができる。
「鍋底に彫るんや。そうすると深く彫ってあるように見える。反対に竹みたいに丸く彫ると、品がなくなる」
丸く彫るだけなら、一方向にセンを動かすだけでいいが、鍋底型の溝にするには技がいるし、その分手間もかかる。しかし、それを省かないことで全体の品格に違いが出てくる。
茎仕立ては、柄に隠れる部分の茎にヤスリ目を施す仕事である。柄からはずれにくくする目的もあるが、ヤスリ目に工夫を凝らすことで、見た目の美しさも追求している。実用と美が共存しているという意味において、樋かきと同じ目的を持っている仕事と言えよう。茎尻と呼ばれる先端の形状と合わせて、時代や流派によって、様々なヤスリの入れ方がある。いずれも、目の間隔や溝の幅に適度なランダムさを出した自作のヤスリを使って、自然な風合いを出すのが一般的だ。
これら仕上げの工程でのディテールの積み重ねで全体の見た目が大きく変わってくる。河内は「ほんとにちょっとしたことやけどな」という。しかし、そのちょっとしたことを感知する能力と、そこに込める個性こそが刀匠の生命線なのである。 (文中敬称略)