1週間ほどかけて、研ぎをかけ形を決める。
1週間ほどかけて、研ぎをかけ形を決める。

 それを一転させたのが幕末の戦乱である。世情が不安定になるにつれ刀剣の復古主義を唱える声が高まっていったのだ。その提言者である刀匠の水心子正秀(すいしんしまさひで)などが鎌倉時代にならった豪壮な刀を世に問い、幕末の志士に大いに支持を得た。

 これらは「新々刀(しんしんとう)」と呼ばれ、近藤勇の偽虎徹の本当の作者とされる清麿(きよまろ)などがその時期の名工として名を残す。ちなみに勝海舟は前出の水心子正秀を愛刀としていたそうだ。

銘を入れて、刀匠の仕事が終了する。
銘を入れて、刀匠の仕事が終了する。

 そして、明治維新を迎える。ここにきて身分制度は改まり、武士階級がなくなってしまう。さらに明治9年には廃刀令(はいとうれい)が公布され、特別の場合を除いて刀を身につけることができなくなってしまった。この結果、多くの刀匠が職を失い、道具鍛冶などに転身していった。

 それでも、作刀技術は国によって保護され、その技はかろうじて次の世代に引き継がれていく。その技でもって作られた日本刀は、その後の戦争で補助的な、あるいはシンボル的な武器として役目を果たす。そのために第二次世界大戦中には、刀匠たちが徴用され軍刀を大量に生産した。そしてこれが、武器として日本刀が使われた最後の機会となったのである。(文中敬称略)