新しいガンの治療法を開発し事業化したいと漠然と考え始めた結果、じっくり考える時間をつくるために病院を辞め、1999年4月に欧州に旅立った。約半年間の旅行中に自分でなければできないことをやろうと、考え続けた。日本に帰国後、何を事業化するかを模索していた中で、経済誌「週刊エコノミスト」のゲノム最前線の特集を読み、創薬系ベンチャー企業であるヒュービットジェノミックス(東京都千代田区)が設立されたことを知った。遺伝子ゲノム解析などを基に事業化を始めた同社に強い関心を持ち、連絡をとって「入社させてほしい」と懇願した。熱意が伝わり、入社が認められた。

 2000年11月に入社した当初は、元医者という経歴から研究開発部門で仕事をするように求められた。矢崎氏は「ベンチャー企業の経営を学びたいので、経営企画や財務の仕事を担当させてほしい」との意志を伝え、この希望が運良く認められた。経営実務はほとんど知らなかったため、無我夢中でOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)を通して企業経営の基礎を学んだ。ベンチャー企業を創業したいという意志の下での修業時代だった。この過程の中で、東大医科学研究所の研究成果と出会った。

創業の契機となる東大医科研の研究成果に遭遇

 ヒュービットジェノミックスが手がける新規事業の提案の一環として、東大医科学研究所の附置病院長(当時)の浅野茂隆氏に、あるビジネスプランを提案した。この時に提案したビジネスプランを実現するために「医科学研究所の客員研究員にならないか」と逆に提案を受けた。会社に戻って上司に相談し、2003年3月に医科研究所の細胞プロセッシング寄附研究部門(メンバーは高橋恒夫客員教授など)の客員研究員に転職した。

 同寄附研究部門は臍帯血(さいたいけつ)移植などの基礎研究として免疫担当細胞などを研究していた。研究テーマの一つが“樹状細胞”による細胞治療の可能性の追究だった。樹状細胞とは、ガン患者各人のガンの特徴を反映するガン抗原を“覚える”免疫細胞のことで、覚えたガン抗原情報をリンパ球に伝える“抗原提示”によって、その情報を学習した患者のリンパ球がガン細胞だけを長期間にわたって攻撃する。ガン患者自身のガン抗原を利用し、対象のガンだけを狙って治療する魅力的なガン治療法だった。

 ガン患者自身の免疫細胞を利用するために、「副作用がほとんど無いと考えられる点が優れている」と判断し、ガン治療技術の事業として成立すると直感した。細胞プロセッシング寄附研究部門の臨床的研究成果から、ガンが小さくなったり消滅したり、進行が止まるなどの有益性が約30%あると判明していたことが、ガン治療技術の事業成立の可能性を感じ取らせたようだ。

 矢崎氏は樹状細胞を利用するガン治療技術を提供するサービスを事業化するため、2004年6月にテラを設立した。当然、医科学研究所の細胞プロセッシング寄附研究部門の研究者からの同意を得て設立した。創業当時の本社所在地は東京都渋谷区恵比寿の当時の自宅で、資本金1000万円をなんとか工面し、矢崎社長一人で創業した。

 ガン治療技術の基盤となる樹状細胞培養法はあるレベル以上のクリーンルームを必要とし、細胞培養装置も決して安くはなかった。事業計画の細部を詰めていくと、事業化には当初だけでも億単位の設備投資費が必要と見積もられた。事業を起こすには資金調達が大きな課題となったが、研究者としてはそれなりの実力を持っていたものの、企業の経営者としては駆け出しだった矢崎社長は、銀行に事業計画を説明し、簡単に融資を断られるという体験をした。「今、考えれば断られるのが当たり前なのですが」と、矢崎社長は笑う。