それらはみな、日本人には爆発的に売れている。けれど、それを十分に知っているはずであろうアメリカのディズニーランドでは、今でもなおこの手のキャラクター食品はほとんど展開されていない。地域の文化に根差す価値観や美意識というものは、そう簡単には変えられないのかもしれない。

 この事例などは、十戒にいう「視覚を通してイメージする能力」を考慮することの重要性を端的に表すものであろう。ただ、このように「国民性」を考慮するだけで済むことは実際には少ない。まだまだ解像度が足りないのである。創造的開発者は、国民性という大ワクの特性を押さえつつ、さらに顧客の年齢や嗜好などの特徴を把握し、それを加味して「視覚的能力」を考える必要があるだろう。もっといえば、人のリテラシーは一定ではなく、状況に応じて常に変化する。同じ人間でも、休日前の深夜に六本木のおしゃれなバーにいるときと、月曜日の早朝に満員の通勤電車の中にいるときでは、同じものを見ても印象や連想するものが変わるのである。それをも理解しておかねばならない。

 私の師匠が以前、こんな話をしてくれたことがある。「料理人には5種類いる。例えば、ここに大根と人参が1本ずつあるとしよう。同じ状況にあるにもかかわらず、5種類の料理人は、その行動がすべて違うので、それで料理人の質が一目で判るんだ」。彼のいう料理人をダメな方から並べてみると、以下のようになる。

1. 一番ダメな料理人は、大根と人参をそのまま持っていって、食べてもらおうとする
2. 次にダメな料理人は、それを食べられるように切るだけで、お客様に持っていこうとする
3. その上の料理人になると、それらを調理し、味付けして食べてもらおうとする
4. さらにその上の料理人になると、それらをお皿に綺麗に盛りつけ、持って行く
5. 最上級の料理人になると、お客様の食べるタイミングを注意深く視て、提供しようとする

 顧客が同じ料理を見るにしても、前の料理をまだ食べている最中なのか、食べ終わって「そろそろ次が出てこないかな」と思い始めているときでは感じ方が違うということだろう。同様に、リテラシーについて考える場合も、ある人やある集団がもつ固有の能力、つまり「静的特性」を把握するだけでなく、置かれた状況などをも合わせて考慮し、「動的特性」としてそれをとらえなければならない。