ミッキーの十戒、5項目は「Communicate with visual literacy」というものである。もう少し丁寧にいえば、「You should communicate with your guest with visual literacy」で、直訳すれば「視覚リテラシーでお客様を共感させなさい」ということになる。つまり、お客様の「視覚を通してイメージする能力」を的確に把握した上で、そのお客様に応じたサービスを提供しなさい、との意味である。

 この場合の「コミュニケート」とは、通常、私たちが使う「知覚、思考、情報を伝達する」という意味ではなく、「共有する」ということであろう。「リテラシー」に関しては、本来は「識字力=文字を読み書きする能力」のことで、転じてある分野に関する知識、能力を指すが、ここでは「ビジュアル・リテラシー」、つまり「視覚を通してイメージする能力」を表していると解釈できる。

 ただ、この「視覚を通してイメージする能力」というのは、実に捉えがたいものである。他の動物と比較し「人間の視覚認知能力」を簡易に定義することはできるだろうが、それではごく一般的な、最大公約数のような能力を指しているにすぎない。実際のビジネスに応用する場合には、顧客の住んでいる地域、生活慣習、環境、生活水準、世代などを把握し、さらに高い解像度で視覚認知能力について論じていく必要がありそうだ。

 たとえば、一般に「国民性」と呼ばれるものがある。日本人は平安の昔から、桜の花をこよなく愛してきた。和歌で単に「花」といえば桜を指すほどである。ただその美しさを愛でるだけでなく、開花の兆しに春の訪れを重ね合わせ、わずか1週間ほどでひらひらと散ってしまう、そのありようを見て、人の世のはかなさを感じてしまったりもする。この感覚は、1000年以上にわたって築き上げられてきたもので、日本人の「視覚を通して同じイメージを持てる能力」ともいえるものであろう。

 けれど、生活慣習や文化が異なるアメリカ人の多くは、同じ桜の花をワシントンD.C.で見て「美しい」と感じても、「人の世のはかなさ」を感じとることはまずないのではないかと思う。月も同様であろう。日本人は月の模様を「兎が餅つきをしている姿」に見立てたが、西洋では蟹の姿や編み物をする老婦人、ネイティブ・アメリカンの中には、女性の顔と見立てるという話を聞いた。このように同じ花や月を見ても、日本人とその他の文化圏に住む人とでは、受け取る印象も連想するものも違うのである。