今回は「オフ」ネタです。まだ夏季休暇を楽しんでおられない方には申しわけありません。当方は一足早いお休みをいただき、のんびりとバルト3国を旅している真最中。いま滞在しているのは、人口2500人というバルト海近くの絵はがきにあるような村、シュヴェクスナです。

 ここまでくれば私の長旅もほぼ終わり。実は、ほぼ1カ月をかけて、今回は世界を回ってきたのです。ただ、ひたすら飛行機や車で移動したわけではありません。親戚や知り合い、さらには訪問先のお店などで自転車を借り、車輪を自力で回しながらさまざまな風景に触れてきました。

 旅の前半では、カナダに近い、北アメリカに滞在しました。そのころ、自転車で周囲を見て回る習慣がついてしまったのです。その地では、日本ではちょっと考えられないような道を走るという体験までしてきました。

 日本と違って、アメリカでは鉄道という交通手段があまり活用されていません。昔あったものは残念ながらほとんど廃線になり、自動車やトラックに依存するようになってしまったのです。ただ、その廃止された線路の一部が、歩行者や自転車用の道に転用されるようになり、19世紀から石炭や木材をせっせと輸送してくれた機関車に代わり、現在では人や自転車がのんびりと森林浴気分でそこを通うようになりました。先日、自転車で走った道は全長で100kmにも及ぶものです。もっとも、机からほとんど離れない生活をしている私にとっては30Kmくらいが走れる限界でしたが。

 環境問題、GMを代表とする自動車産業の危機、ガソリン価格の上昇などをキッカケに、アメリカでも車中心の生活を見直そうという機運が高まっています。それと連動するかたちで、自転車の良さが再認識されるようになりました。その風潮にピッタリなのがこの自転車・歩行者専用道路というわけです。

 もっとも、廃止された鉄道路線の使い道は、自転車道ばかりとは限りません。その典型例が南マンハッタンにあります。そもそもこの地域は、インフラは老朽化し治安も悪いという、あまり人気のない場所でした。ところが5年ほど前から、このぼろぼろの産業地域に高級マンションやブランド店、高級レストランなどが集まり始め、あれよという間に人気おしゃれスポットに変身してしまったのです。

 その中心地であるMeat Packing District(かつては食肉加工工場などが集まっていた地域)には、20年ほど前まで鉄道が走っていました。ニューヨークでは、20世紀の始めには電車が一部で普通の道路を走っており、それはとても危険だったようです。そのため、カウボーイを採用し、彼らを馬に乗せて「露払い」よろしく電車の前を走らせ歩行者や馬車などに注意を呼びかけるなど、涙ぐましい努力を重ねてきました。それでも多くの方が犠牲者となり、鉄道は地下や高架へと移行していきます。

 Meat Packing Districtの鉄道も例外ではなく、モノレールのような高架線路になりました。当時としては先端技術だったのでしょう、地面の数メートル上に線路を設け、電車で物資を工場に直接供給できるようにしたのです。けれど、大型トラックが普及したことで、20世紀後半にはこの「ハイライン」は不要となります。そして、ニューヨーク市はこれを取り壊す計画を進めることにしたのです。