そのためには、「物事を選択する」という人間の自主性をコンピューター・ソフトウエアの要素として組み込み、仮想世界で生きていると錯覚させなければならない。マトリックスは、こうした世界を描いた作品だ。

 だが、よくよく考えてみると、人間抜きでも機械だけで発電はできそうである。「なぜ人間の思考が必要なのか」「人間の脳のエネルギーって、そんなに大きいの?」など多くの疑問が出てきて、奇妙な設定に思える。実は、ここにマトリックスという映画のメッセージが隠されている。人間の脳の存在には非常に高い価値があり、それは機械では代替できないと言っているのだ。

 これは、「hatebu」さんの話にぴたりと符号すると思いませんか。そうなのだ。少し見る方向を変えると、SFの世界は既に今この瞬間にも存在している。実際、私たちは「hatebu」さんというコンピューター・ソフトウエアの動力源になっているのだから。

二項対立から融合へ

 人間がコンピューターに支配され始めていると考えると、少し怖い気がしないでもない。でも、そうではないと私は思っている。これは「支配」や「対立」ではない。人間の脳が備える強みと、コンピューターの強みが融合・協調しながら、それぞれ単体ではできないことを実現しているからだ。結果、人間は新たな思考法を手に入れようとしているのではないだろうか。

 これを実現したのが、インターネットに代表される通信技術である。産業革命以降、機械は人間の仕事を奪う存在であり、人間と対立する存在と捉えられがち。喜劇王チャップリンの名作「モダン・タイムス」は象徴的な例だろう。インターネットが生み出す仮想世界と現実世界も同様の二項対立で語られることが多い。

 しかし、ネットの普及によって、実は「機械と人間」は対立するものではなく、融合・協調関係にあるというイメージがこれまで以上に強まったと私は思っている。このコラムでは、機械と人間の関係、そして「ヒューマン-マシン・インタフェース」がネットの出現でどう変容し、それによって従来の“ものづくり”がどう変わっていくのかを皆さんと一緒に考えていきたい。

 これからの10年で人間と機械の融合を前提とした世界の構築が加速するだろう。そうした中で、どのように“ものづくり”をしていくのか。今年の夏はSF映画を見ながら、人間と機械の関係に思いを馳せてみてはいかがだろう。