「中国調達バブルって?」

 田中は話を聞きながらだんだんとニヤニヤしてきた。鈴木が一通り話し終わるとこう言った。
 「鈴木さん,そういうことは周りのバイヤーからもよく聞く話だったね。最近はあまり聞かなくなったと思ってたら,最近は設計直接に行くんだ。」
 「よく聞く話,ですか。」
 「そう,昔の中国サプライヤーの日本企業に対する接し方」。
 「えっ,どういうことですか?」
 「設計部門に直接攻勢を掛ける。多分,日本企業でサプライヤー選定の決定権を持っているのは購買じゃないことを分かってきたんだな。だから設計部門や設計担当者に直接攻勢をかける」。
 「そうですか。でもそうはいっても,うちの場合は購買が最終決定権を持っているでしょ」。
 「よく考えてみなよ。電子部品なんか,メーカー指定しちゃえばそれで決定だよ。あとはどの商社から買うか,だけ。メーカーが四行を指定してきたらそれで取引先も決定。安心しな,品質問題はそうは起こらないと思う。今でも生き残っているメーカーだからな。工場を見せなかったのは多分,最新の設備だけ入っていてガラガラの工場見せて心配されるのを嫌がったんじゃないかな」。
 「そういうものですか」。

 「数年前に中国調達バブルが起きた。どこの企業も大きなコスト削減を目的に,賃金が低いアジア地域からの調達を推進しようとした時がある。まあそのころは海外調達=中国調達だったけどね。中国で見本市があれば日本企業の購買担当者があふれている,中国のサプライヤー紹介のビジネスが立ち上がる,どこの企業も中国サプライヤーへ引き合いを出していた。結果はともかくとして」。
 「それで,どうだったんですか?」
 「本当に優良なサプライヤー,もしくはそういうポテンシャルのあるサプライヤーを開拓しようと努力した企業や,現地調達を引き上げることが必要なグローバル企業なんかは今でも継続して取引をしている,また中国からの調達で大きな効果をあげているよ。ただ多くの企業は安い見積りだけ入手して,国内の既存サプライヤーと価格交渉のネタに使っただけ。これをあて馬見積という」。
 「そんな,それってひどいですね」。

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 「そう,そのうち中国サプライヤーも真面目に対応しなくなった」。
 「というと…」
 「日本企業向けに高い見積りを提出するようになった」。
 「…,でも当たり前の話ですね。で,高いとか安いとか,中国からの調達は本当に安くなるんですか? となりの部署に聞いたら,今回は日本の既存サプライヤーより1割安くなると言っていましたけど」。
 「はははっ。1割だったら間違いなく高くつく。まあ,中国調達が目的化しているから,それでもいいのかもな」。

「中国調達が目的化?」

 田中が続ける。
 「鈴木さん,そもそも海外調達の目的ってなんだ?」
 「コスト削減じゃないんですか?」
 「そう,それは大きい。じゃあコストって何だ?」
 「部品コストと型費,物流コストですか」
 「そう,部品コストは材料費と加工費に分けられる。物流コストをもっと正確に言うと,輸送費,通関費用,在庫費用に分けられる。ただそれだけじゃない。海外調達の場合は発注から納品まで時間がかかるし,国内企業のように小口配送していたら輸送費がかかってしょうがないから,納入ロットも自然と大きくなる。そうすると在庫費用がかさむだけでなく,在庫品がモデルチェンジで要らなくなったら廃棄損が発生する。これも大きなコスト。それから品質トラブルが起きたときの場合の費用も想定しなければならない。それ以外にも考えなければならないことがある」。
 「為替レートですか?」
 「ピンポン,海外調達が目的化すると,元が切り上げられただけで効果が半減することもよくある。円建ての契約や為替予約なんかでリスクを回避することもできるが,それも全部コストに跳ね返る。でもまだそれだけじゃない。今回の鈴木さんの出張費用とか工程監査,品質監査のための経費,中国調達のための調査費用なども合計すると大きなコストになる。そういうことを理解した上でメリットがあるのかどうか考える必要がある,ということだ」。

 「じゃあ,海外調達はメリットがないのですか?」
 「以前の中国調達バブルの時は,日本国内と比較して部品コストだけで,だいたい5割低減可能であればトータルコストで3割削減は堅いといわれていた。今は多分部品コストで2割安くてトントン,2割以上であればメリットあり,という感じかな」。
 「じゃあ,1割っていってたあの部品は安くないじゃないですか」。
 「そうだね。まあ詳細が分からないから何とも言えないけどな」。
 「じゃあ,何で無理やり海外から苦労して調達するのか分からないじゃないですか」。
 「そう,だから中国調達が目的化しているんだ。いろいろな会社で海外調達比率何%という数値目標を設定している。うちもそうだよ。海外調達が安いという神話がまだ生きているということだ」。
 「そんないい加減なものですか。」

 「鈴木さん,じゃあもう一つ聞くけど,何で海外で生産すると安くなるのか考えたことがあるか? 基本的には日本で造るのと原材料は同じ,設備も同じ,工法も同じだとしたら」。
 「そりゃあ,物価の違いでしょう。要するに賃金が安いからですよね。」
 「そう。じゃあ日本と中国の賃金格差っていくらくらいあるのか知っている?」
 「いや,分かりません」。
 「2000年当時でだいたい1万元といわれていたので,その当時の為替レートが1元14円として14万円,日本の平均年収はだいたい400万円くらいといわれているから,だいたい30分の1程度」。
 「そんなに安いんですか!」
 「でもこれは農村部などのデータも含まれているから,そのまま比較して安いと判断することは難しいけどね。また中国の平均賃金は2000年以降,2006年まででだいたい倍増しているといわれている。中国の最低賃金保証額は法律で定められていて,年々10%前後上昇しているんだ」。
 「やっぱりオリンピックとかの影響もあるんですかね?」
 「そうだね。ただ,ここで考えなきゃならないのは,経済成長を続ければいつかは人件費は高騰するということ。生産性が高まれば通貨が高くなる。つまり,人件費の差で安い,という状態は長続きしない。苦労してサプライヤーを育成して,ようやっと品質が安定したころには,人件費の上昇に為替レートの変動が加わって,メリットが相当目減りしてしまう,といった状況も十分考えられる」。
 「なるほど,考えてみれば当たり前のことですね」。
 「その通り。でも,その当たり前のことが忘れ去られてしまう。海外調達自体が目的化してしまうから」。(以下次回)