現代人ともなると、「サラダ記念日みたいなやつね」くらいの関心度だったりする。いや、若い人だとサラダ記念日すら知らないかもしれない。それを嘆く人もいる。「和歌なんていうレベルではなく、今の若い人は日本人のくせに日本のことを知らなすぎる」とか「日本以前の問題として、一般常識がまったくない」とか。技術者であれば、常識はなくてもせめて専門知識は持っていてもらわないと困る。けど、その欠如も目を覆うばかりのレベルになってきたと嘆く声もこれまたよく聞く。弊社にも、秋田の「なまはげ」をスキンヘッド、時代劇の「忠臣蔵」を物流拠点のことだと信じ込んでいたなどという若手記者がいるので、その気持ちはよくわかる。

捨てたからできたこと

 ただ、自分たちの世代ほど深く常識や専門知識を身につけていないと感じる若者も、記憶容量や処理能力に問題があるわけではないだろう。何かを知らない分、ほかの何かを知っていたり、できない分、ほかの何かができてしまったりする人なのかもしれないではないか。

 先日、小田嶋隆氏のコラムを読んでいたら、こんな話が載っていた。サッカーの本田圭佑選手のことを、一部のネット掲示板などで「本田△」と表記しているのを発見した。けど、どう読んだらいいのか分からない。何を意味しているのかもわからない。で、いろいろ悩んでいたのだが、ある日、掲示板で「おお、かっけー」などという言葉を見つけ、電撃的に彼は理解する。「本田△」は、「本田さん、カッケー!」だったのである。

 この考案者、つまり「『本田△』というたった三文字の中に本田圭佑という男の立ち位置と宿命とプレースタイルのすべてを封じ込めた人間」を小田嶋氏は天才だという。私も激しく同意しながら、「地デジカ」が着用しているのは「スク水」であると最初に喝破したやつも、それに劣らぬほどスゴいやつではなかろうかと思う。けど、そんな天才も会社では「おめー使えねーなぁ、高校でオームの法則とか習わなかったわけ、ったくぅ」とか先輩に言われている人なのかもしれないと、想像したりもするのである。