いろいろな読み方ができるが、一般的には「本質を正確に見抜きなさい」とでも解釈するのだろうか。だが、私がこれを読んだとき胸を衝かれたのは、「見るところを見」ではなく「見ない処は見ない」という部分であった。見ない処を見ないから、見るべきところを見ることができる、つまり「捨てればこそ得ることができる」と筆者は言いたかったのではないかと。

物欲が消えてしまったら

 こんな話もある。川口盛之助氏もコラム「舌を出して走れ」の中で紹介されておられたが、オリンピックの短距離走などをみると、選手たちはみな顔の筋肉を弛緩させている。自然にそうなるのではなく、それができるよう訓練しているのだという。私はそのことを元陸上部の先輩から聞き、実演してもらったこともある。短距離走には使わない筋肉をことごとく弛緩させることによって、重要な筋肉に投入するエネルギー量を極力増やすのだという説明であった。

 文字通り、「捨てなければ得られない」のだと日経ビジネス誌も特集『物欲消滅』の中で書いていた。生活に必要なものは十分すぎるほど行き渡った。そこへ不況が襲い雇用環境が悪化、さらには環境問題に対する意識の高まりもあって、大量消費を見直そうという意識が高まっている。つまり、物欲が消えつつあるというのである。そんな事態に企業はどう立ち向かうべきか、というのが特集のテーマである。

 若い世代を中心にこうした意識が顕著に現れ始めているということが、近年大きな話題になっている。かといって、目新しい現象ではない。「昔、書いたような記憶があるなぁ」と思い調べてみたら、日経エレクトロニクスの1992年7月6日号に『製品サイクル長期化 利益なき繁忙を超えて』という特集があり、その中でも消費者の間で「モノを大切にする意識が高まっている」ことを紹介していた。社会状況も似ている。バブル崩壊で不況風が吹き荒れ、フロン問題をキッカケに地球環境への関心が高まり、バブル消費の反省として資源問題、ゴミ問題が再認識されていた時期である。

 その当時は、機種数を絞り込んだり、新製品の開発サイクルを長期化したりすることで、メーカーはこうした状況に対応しようとしていたと記事は伝える。ただ、「そんなことをやっても他社にシェアを奪われるだけ」との意見が根強く、なかなか実現しそうにないとも。