鋏職人の石塚氏の例が示すように、そんなリスクが匠を目指すことをためらわせる一つの理由になっているのかもしれない。そうであれば、「ハイリスク、ローリターンだからなり手がいなくなるわけで、待遇を大幅に改善して、せめてハイリスク、ハイリターンにすれば」という趣旨の鈴木会長の発言は、実に的を射たものということになる。

 ただ、本当にそれが実現できるのかという疑問は拭い切れない。匠の技が大きく寄与するようになれば、匠が製造する製品や提供するサービスの人件費比率は上がる。その結果として、質は上がるかもしれないが、たぶん価格競争力は低下する。歴史が私たちに教えてくれることは、そのような製品はどんどん「質はそこそこだけど安価」な製品に市場を奪われ、好事家、富裕層向けの嗜好品としてしか残存できなくなるということである。

匠と技術者の相似形

 さらにもう一つ、気になることがある。鈴木会長がおっしゃる匠と、いわゆる技術者との関係である。世の中には、卓越した技を持ちながら薄給に甘んじている匠もおられるだろうが、同様、あるいはそれ以上に、薄給に甘んじている極めて優秀で有用な技術者が多くいらっしゃるわけだし。

 で、「どう?」と技術者である友人に聞いてみたら、「微妙だなぁ」という。「やり方によっては、技術者のモチベーションが下がるかもしれんね。だって、匠をハイリスク・ローリターンと言うのなら、技術者もまったく一緒なんだから。大学や大学院で何年も勉強したところでまだ駆け出し。そこから何年もの実務経験を経てやっと一人前になる。でも、そこまでして身につけた技術や知識が、いつまで必要とされるかはまったくわからん。もうその技術はいらんとか、その分野の事業はクローズとか言われたら、会社ではたちまちやっかい者扱いだからね」。

 確かに。友人に半導体プロセスを専門としていた技術者が数多くいたが、今でもその技術で身を立てている者はほんの一握りしかいない。そんな現実をみれば、技術者が特定分野の専門家として生きていくためには、確かに匠と同じ覚悟がいるのだろうと思う。で、その対価である。匠の報酬を現在より手厚くするとしよう。ただ多くの場合、企業には従業員に払うべく原資というものが設定されていて、その原資をみんなでシェアした結果として与えられるのが各従業員の報酬ということになっている。あくまでシェアするわけだから、誰かに厚くすれば、他は薄くなるのが道理だ。

 「いや、英断をもって原資を積み増す。その積み増し分で匠の報酬を上げるのだから、技術者の報酬が減ることはない。だったら文句はないはず」という弁明が用意されているかもしれない。けど山本夏彦氏は著書のなかで、「わが家にピアノがあって、隣家になくて、はじめて豊かなのである」と述べている。「空腹と空腹感は、本来別物」とも。人の感情は、相対的な状況に大きく左右されるとのご指摘であろう。つまり、匠を喜ばせようとすることは、実は同じ境遇にある技術者をガッカリさせることになりかねないということだ。