オイルショックとともに日本市場の大型設備投資は消滅。産業機械の受注が激減したため,我々宇部興産の機械部門は海外に活路を見いだした。欧米の機械メーカーとの競争に競り勝ち,ついには米フォード社やGM社,ドイツのフォルクスワーゲン社といった世界的な企業からも受注するようにもなった。

 それでも,産業機械だけでは厳しい。日本で売れる消費財向けの開発を急がなければ明日はない。調べてみると,日本市場において自動車の生産量がそれほど伸びなくても,アルミホイールの装着率は高まっていた。従って,それを造る竪型ダイカストマシンは産業機械の中でも売れるはずであると考えた。

 実は,既に我々はアルミホイール用の竪型ダイカストマシンをトヨタ自動車に10台納入した実績を持っていた。ところが,これまでとは異なり,トヨタ自動車はアルミホイール用の竪型ダイカストマシンを「秘密兵器」として社内に抱え込んでしまい,他社に見せる許可を与えてくれない。そのため,我々が新しい顧客を探そうにも,うまく営業できない状態が続いていた。そこで,機械のビジネスができないなら,我々は思いきって顧客に宣伝するための機械を造り,さらに場合によってはより下流に進んで,消費財分野のアルミホイールを自ら造って売ることで生き残ろうと考えたのだ。

 さあ,造ろうという段になって,川口東白君がこう言った。「藤野さん,トヨタと同じ機械では面白くありません。どうせなら,もっと生産性に優れるやつを造らせてください」。技術者の意地だ。トヨタ自動車以外に顧客がいなかったために,アルミホイール用の竪型ダイカストマシンの技術開発は止まっていた。たとえ宣伝用の機械だとしても,技術者としては新しい技術を開発するチャンスだと我々は考えたのだ。こうして,ロータリ式竪型スクイズキャステイングマシン(RVSC)が誕生した。一対の型締め・鋳込み装置に,三つの金型を回転テーブルに載せたもので,各々の場所で鋳込み,冷却,取り出しを行うことで生産性を高めた機械だ。

 だが,機械が完成したからといって,悠長に構えてはいられない。これを早く商売につなげなければならない。私は機械が完成するや否や,その写真を撮って米国のデトロイトに飛んだ。GM本社の購買担当筆頭重役コステロ氏の所に向かったのだ。もちろん,販売担当のジャック清水(清水和茂君)も一緒だ。コステロ氏に面会の申し入れをすると,日にちを指定され「9時から別の会議があるから,8時に来てくれ」とのこと。実はその日,私には通常の商談では会うことができないこのコステロ氏に,別の用件で面会するようにアレンジされていた。当日になり,朝早くからGM本社に赴いてコステロ氏に会うと,我々は挨拶もそこそこに,その別の用件は後回しにして,新しい機械の売込みを開始した。

 ジャック清水は写真を見せながら,熱心にスクイズキャステイングの説明をする。我々が強調したのは「この機械はトヨタ自動車に納入した機械をベースに改良したものである。従って,トヨタ自動車よりも優れたアルミホイールができる」というセールスポイントだ。9時前になり,秘書と思しき社員がコステロ氏を呼びに来て,同氏は部屋を出て行った。これで終わりだなと思っていると,コステロ氏が戻ってきてこう言った。「9時からの会議は延期した。もう少し詳しく説明してほしい」と。これは脈ありと感じた我々は,なんとか機械を買ってもらおうと必死になってさらに詳しい説明を行った。そして,最後はコステロ氏と固く握手して別れた。

安宅産業破綻の教訓

 しばらくして,コステロ氏からニューヨークにいる清水君に電話がかかってきた。「ジャック,先日説明してもらったあの機械が優れていることはよく分かった。だが,機械のことよりも,いっそのこと我々と一緒にカナダでアルミホイールを造らないか?」というのである。当時,GM社の鋳造部門の業績が悪化しており,アルミホイール事業の立ち上げでテコ入れしようと同社は考えたのだ。