藤浪氏 リニアモデルは,科学(サイエンス)→工学(エンジニアリング)→産業(インダストリー)と直線的に事業化するモデルですから,科学的シーズを海外から持ってきたとしても該当します。確かに,欧米では自社内の中央研究所で生まれた科学的発見を基に製品化していたために自前主義の傾向が強かったわけですが,本来リニアモデルは自社内だけに閉じたものではありません。むしろ日本企業は,「技術ただ乗り」と批判を浴びましたが,シーズのところは他に依存して,その次工程であるエンジニアリングのところに注力できたからうまくキャッチアップできたといえます。

筆者 日本が得意な「ものづくり能力」が生きたということですね。

藤浪氏 そうですね。『ものつくり敗戦』(木村英紀著,日経プレミアシリーズ)という本がこの3月に発行されましたが,そのあたりの状況をうまく分析していると思いました。著者の木村氏は本書の中で,「道具を機械に変えたのが産業革命であったとすれば,日本の伝統的な技術は西欧の近代技術と出合うことによってその逆,すなわち機械を道具に変えたのではないか」という仮説を提示しています。つまり,日本は伝統的に暗黙知を磨く職人が昔からたくさんいて,その層がサイエンスからエンジニアリングに持っていく際にうまく機能したということです。

「勤勉革命」と「産業革命」

筆者 私もこの『ものつくり敗戦』を読みまして特に面白かったくだりは,労働集約的技術の起源を江戸時代に起こったといわれる「勤勉革命」に求め,それが現代でも影響していると論じている点です。それは,「産業革命」を起源とする資本集約的技術を日本に導入する際には補完的に働いて大きな強みとなったわけですね。私自身,以前のコラムで「産業革命と勤勉革命は異質なものではありますが,同じ生産革命ということで共通する部分もあって,うまく共鳴したということなのかもしれない」と書きました。ただし,後で取り上げるように,木村氏は,労働集約的技術はそうしたメリットだけでなく,90年代に競争力を下げた原因でもあるというデメリットの部分にも切り込んでいますが…。

藤浪氏 少なくとも戦後から80年代半ばくらいまでは,労働集約的な志向がうまく機能して,欧米のリニアモデルをキャッチアップしつつ,日本流とも言えるリニアモデルをつくりあげたわけですね。そもそも日本は,江戸時代以前の大昔から中国や韓国から技術や文化を導入してきたわけですし,明治維新でも戦後復興でも国家モデルの基本は海外へのキャッチアップモデルです。そのために,海外の技術を日本流にアレンジする職人が歴史的に数多くいて,彼らにしかできない暗黙知的な芸当はそれなりに尊敬されてきたわけです。

筆者 日本の製造業が競争力を上げたもう一つの理由として,欧米企業が当時採用していた垂直統合型の組織を真似た点も大きいと言われています。

藤浪氏 日本の総合電機メーカーが事業部制など,欧米の垂直統合型企業の組織体制を手本にしたことは確かです。垂直統合型の総合電機メーカーは,今でこそ多くの弊害が指摘されていますが,当時はメリットは大きかったわけです。そのメリットは整理すると三点ほどに集約できると思います。第一は,様々な技術や部品を組織の内部で調達できて自前でなんでもつくれるという自由度があったこと,第二は複数のメーカーが切磋琢磨して同じものを作り出す熾烈な競争を繰り広げたことによって技術力が高まったこと,第三は,大組織の中で部署を渡り歩くことによって全体像を理解してコミュニケーションをとって仕事を進められるアーキテクトという人材と,各分野に特化したマイスター的な人材の両方が揃って競争力が高まったこと--の3点です。こうした垂直統合型組織のメリットが,当時の主流であった家電製品や自動車のアーキテクチャーにうまく当てはまったということだと思います。

日本流の垂直統合モデル

筆者 日本はさらに,垂直統合型の大企業を中核として,系列などのクローズドに設計・製造を進めるモデルをつくりました。部品メーカーや装置メーカーが専用部品や専用装置を大企業に供給することによって,当時の主流であった擦り合わせ(インテグラル)型の製品アーキテクチャーにさらに最適化された仕組みをつくり上げたわけですね。

藤浪氏 米国の経営学の教科書などでも,部品調達のためのモデルとして,(1)自社内で内製(Make),(2)外部の市場から調達(Buy)のほかに,(3)として「ケーレツ」が定義されているくらい,日本発の独自なモデルと言うことだと思います。ある程度はコントロールが効いて,ロイヤリティもある程度は維持できて,しかもあくまで別会社ですから今回の不況のような時には仕事の発注を減らすなど,臨機応変でフレキシブルな対応が可能になるという点で競争力アップの一つの重要な要素だったと思います。

筆者 そもそも,どのような経緯で,日本では系列などの形で大企業と関係が深い中小企業群が生まれたとお考えですか。

藤波氏 それは日本の人口や国土が関係していると思います。日本は他国と比べて,国土の割には人口が多いですね。急激な都市化で,豊富な人材が農村から供給されて,製造業の裾野が厚くなっていったということだと思います。今もまさにそうですが,大企業としては,人件費を圧縮するために正社員はできる限り雇いたくない。豊富な人材の受け皿として,系列としての中小企業群が発達したということだと思います。