上司の上木課長に言われた通り「先行特許」を調べた樋口くん。調査結果を上木課長に報告する前に,これでよいのかどうかを同じ設計・開発課の景山先輩に相談することにしました。密かに自信があった樋口くんですが,景山先輩からは「調べる範囲が狭すぎる。やり直し」と一蹴されてしまいます。新製品の開発プロジェクトにおいて自分がこれから設計する部分についての先行特許は網羅したはずなのに,なぜ「狭すぎる」のかさっぱり分かりません。(「先行特許って何?」と思った方は第1回へ)

イラスト:やまだ みどり

 今回,樋口くんは一生懸命頑張って先行特許を調べたようですが,景山先輩に「調べる範囲が狭すぎる」と言われたということは,“自分が開発する製品についてのみ調べた”と考えられます。それではダメなのでしょうか? もう少し詳しく見てみましょう。

 景山先輩の言葉を特許の観点から補強しますと「おまえ,おれたちがこれから開発する製品のみを対象として調べたの? それは先行特許の調査対象としては範囲が狭すぎるよ。“おれたちの製品と関連する分野の製品”についても調査しないと,おまえの発明が関連分野での先行特許の権利範囲に入ってしまう可能性があるぞ。もう一回,調査対象を関連分野に広げてやり直してみろよ」となります。

なぜ関連製品まで調査するのか

 何だか難しくなってきました。樋口くんは「なぜ,ほかの製品についても調査しなくてはならないのか。そもそも関連する製品ってどこまで入れなければならないのか」という疑問を持つかもしれません。

 この疑問に答えるには,まず特許の「権利範囲」について説明する必要がありそうです。権利範囲というのは,大ざっぱにいうと,特許権者が独占排他的に実施できる特許発明の技術的範囲のことです。分かりやすくすると「この発明を他者が実施すると特許権侵害になってしまいますよ」という範囲を規定するものと考えて差し支えないと思います。この権利範囲は,出願書類のうち「特許請求の範囲」,いわゆる「クレーム」と呼ばれるところに記載された文章によって決まります。

 独占排他的 自らは独占的に実施することができ,さらに,第三者の実施を禁止(排除)できること。

 概念的な説明だけだとイメージしにくいと思いますので,具体的な例で説明してみます。例えば,携帯電話機メーカーP社の設計者が押しやすく使いやすい斬新な操作ボタンAを発明し,特許請求の範囲に「操作ボタンAを備える携帯電話機」と記載して特許権を取得したとします。この場合,他社(Q社とします)が携帯電話機に操作ボタンAを取り付けて販売すれば,当然Q社はP社の特許権を侵害していることになります。ところが,特許請求の範囲にはあくまでも「携帯電話機」としか書かれていませんので,例えばPHS端末や電子手帳までは権利範囲に入っていないことになります。従って,Q社が操作ボタンAをPHS端末や電子手帳に取り付けて販売したとしても,それらはP社の権利範囲に属していませんので,特許権の侵害となりません。

 しかしながら,P社が特許請求の範囲に「操作ボタンAを備える携帯型情報端末」などと記載しておけば話は変わります。特許の権利範囲が広くなり,携帯電話機はもちろん,PHS端末や電子手帳なども権利範囲に含まれます。この場合,Q社が操作ボタンAを真似してPHS端末や電子手帳に取り付けて販売すれば,特許権の侵害となります。

他分野の特許権を侵害する恐れ

 ここまでの説明で,なぜ関連する製品にまで対象を広げて先行特許を調べなければならないのか,少しずつ見えてきたのではないかと思います。上述の携帯電話機の例を,樋口くんの立場で考えてみましょう。樋口くんは,電子手帳のインタフェースの設計・開発を担当しており,今回の新製品開発プロジェクトで新しい操作ボタンの開発を任されているとします。樋口くんは,電子手帳の分野についてのみ先行特許を調べ,その調査の結果として「よしっ! おれが考えている斬新な操作ボタンAについて電子手帳のライバル会社はどこも特許権を持っていないぞ!!」と考え,操作ボタンAの開発を進めます。

 しかし,実は携帯電話機の分野で既に操作ボタンAが開発されており,その携帯電話機メーカーが携帯電話機だけでなくPHS端末や電子手帳も特許請求の範囲に含めるために「操作ボタンAを備える携帯型情報端末」として特許権を取得していたことが後から判明します。この場合,電子手帳のライバル会社の特許権は侵害していませんが,携帯電話機メーカーの特許権を侵害してしまうことになりますので,後で設計変更を強いられる恐れがあります。仮に,樋口くんが先行特許調査の段階で調査範囲を「電子手帳」に限定せず,関連分野まで考慮して「携帯型情報端末」として調査していれば,このような事態を回避できたでしょう。つまり,景山先輩が樋口くんに「調べる範囲が狭すぎる」と言ったのは,こうした事態に陥ることを懸念してのことだったわけです。

職場の人にも相談してみよう

 これまで述べてきたように,先行特許を調査する際は,自分の担当する製品のみに限定して調査するよりも,「自分の発明は他分野で使われているのではないか?」と考え,もう少し範囲を広げて調査した方が安全であるといえます。ただし,発明によっては、他分野にわたって広く適用できるもの(先ほどの例の操作ボタンAなど)もあれば,他分野に適用されるとは考えにくいものもあり,ケース・バイ・ケースです。また,他分野に適用されるとは考えにくい発明についてまで,不必要に範囲を広げて調査するとコストや手間もかかります。従って,むやみやたらに広く調査すればよいというわけではないことも覚えておいてください。自社で開発する製品と自分の担当部分との関係を考えつつ,上司や先輩などによる過去の調査結果も参考にして調査範囲を決めるべきでしょう。