「部品が組めねえよ!」

 この物語の主人公である鈴木孝は,総合電気メーカー「霜月電機」の入社3年目のエンジニアである。彼は現在新機種のデジタルカメラの躯体設計を担当している。今回の設計は,鈴木が大部分の設計を担当した始めての商品開発であった。

 霜月電機の新人は入社後,先輩エンジニアの手伝いから始め,半年経ったころからやや軽めの新商品開発を主担当し,商品開発全般の流れを理解するのが決まりだった。とはいえ,鈴木一人がすべての設計をしているわけではない。多くの部品メーカーのエンジニアや設計派遣者と手分けしての作業であり,実際には鈴木が図面を出図することはあまりないのが現状である。

 何日間かの徹夜が続いたが,デジタルカメラ新機種の出図も終わり,実際の量産化を想定してラインでの作業性などを検証するイベント,量産試作が始まる日になった。量産試作に鈴木のような『商品担当』が立ち会うことはあまりない。鈴木もデスクで資料整理をしていたが,お昼前のこと,大森工場生産課の内田主任から一本の電話があった。

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 「鈴木さんか。部品番号52A70だけど,干渉しちゃって組めねえよ,緊急設変してくれ。FAXで図面送るから,購買にも連絡して納期確認して連絡させろよ。どうすんだよ。この新商品は来月から量産だぞ,分かってんのか!」

 鈴木は初めて経験する事態と,内田の声に圧倒され反射的に謝った。「すみません。分かりました。今日中に緊急設変と図面発行します。納期も購買の田中さんに確認しておきます」。

「エンジニアがいない」

 鈴木は電話を置くなり,黒須化工のゲストエンジニアである奥田を探した。対象部品は黒須化工が製造を担当している部品だったからである。しかし行先表示板の奥田の欄には「休暇7/15~22」と書いてあった。開発が一段落したので早めの夏休みをとっているらしい。

「弱ったな,どうしよう」。鈴木は内田から送られてきたFAXを見た。FAXには黒線が入っており「斜線部分が干渉,形状変更要」と書かれている。

 通常,部品図の作成はほとんどゲストエンジニアに任せている。なぜかというと,餅は餅屋であり,部品メーカーで問題なく製造可能な図面を描けるのは,他ならないその部品メーカーのエンジニアだからだ。しかしもう一つ,別の理由もある。2000年以降,設計者の新規採用が絞り込まれる一方,逆に海外向けの商品ラインアップは増えており,全体的に設計する商品数が増えている。つまり,社内の設計者の絶対数が不足している状況にあるからだ。

 鈴木はFAXを見てこう思った。「簡単な形状変更だから大丈夫だな,よし自分で設変しよう」。CADを立ち上げ,形状変更,図面と設変指示書をデータと文書で保存した。彼は先輩エンジニアの佐藤をつかまえて事情を話し,サインをもらった。緊急設変の場合は,マネジャー職のサインまでで発行してよいというルールになっている。「緊急」という印鑑を押し社内便に載せる。工場だけでなく黒須化工と購買にも送付した。

 一連の作業が終わって時計を見ると,午後3時だった。「さて,ようやく昼食だ」。鈴木は社員食堂に向かった。