自らベンチャー企業を創業し実学を学ぶ

 小樽商大ビジネス創造センターの学外協力スタッフとして、土井社長は2002年4月に設立された北海道大発ベンチャーのメディカルイメージラボ(MIL、札幌市)を支援し始める。創業後は監査役や取締役として事業計画の構築に貢献した。デジタル画像伝送を使って遠隔画像診断支援を事業とするMILの創業に参加したことをきっかけに、北海道の新産業育成を本気で手がけるには、インキュベーション事業を本業とする企業を自分で創業するしかないと考えた。

 土井社長は最初、300万円の創業資金を集めた。この創業の話を聞きつけた瀬戸研究室出身者などの11人が1週間で総額1100万円を出資してくれた。こうした支援を受け、HCMを創業した。

 このベンチャー企業創業は、大学院で学んだ学問体系での実践論を、実際に荒波の中を泳ぐという体験によって補強した。学問体系内での「畳の上の水泳の練習」で得た知識を生かしながら、実践で鍛え直すという実学を学び続ける姿勢を貫いた。

 北海道大などの大学には優れた研究成果を持つ教員・研究者が多数いた。しかし、大学教員は誕生したばかりの企業をすぐには信頼してくれない。土井社長は地域興しやインキュベーション事業とは何かという講演をどんどん引き受け、自分のインキュベーション方針や事業に成功するための手法を伝え、大学教員などの信頼を勝ち取っていった。宣伝費をかけず、講演収入を収入源とする土井社長の戦略は当たり、次々と大学発ベンチャー企業などの事業化を支援することになった。その中の1社がイーベックだった。

イコールパートナーとして経営技術を提供

 イーベックは2003年1月に、北海道大遺伝子病制御研究所の高田賢蔵教授が長年研究してきたEBウイルス研究の成果を基に資本金1200万円で設立された。高田教授の研究成果であるEBウイルスのBリンパ球増殖活性を利用するヒト抗体作製技術は、EBウイルスのBリンパ球増殖活性を利用して目的の抗体(IgG)をつくるリンパ球を選び出して増殖させるものだ(完全ヒト抗体の説明はここではかなり簡略化してある)。土井社長は、このヒト抗体作製技術が欧米の企業や研究機関などが持つ特許などと異なる独自の技術である点と、抗原との親和性が飛躍的に高い点に着目し、事業化できると読んだ。

 土井社長は、当時はCOO(最高執行責任者)を担当する取締役としてイーベックの経営陣に参加した。研究開発を指揮し、COE(最高経営責任者)として代表取締役社長を務める高田教授と二人三脚でイーベックの事業を育成した。研究開発者としての高田教授の夢を実現するために全身全霊を捧げる。そのためには、「イコールパートナーとして私の経営技術を信頼してほしい」と高田教授にお願いした。

 2003年4月にイーベックは経済産業省の地域新生コンソーシアム研究開発事業に採択され完全ヒト抗体の大量生産技術の研究開発を始めた。2004年10月に研究開発拠点を北海道大の北部に隣接する産業技術総合研究所北海道センター内に移し、同年11月にベンチャーキャピタルのジャフコ(東京都千代田区)から1億200万円の出資を受けるなど、研究開発態勢固めと研究資金の確保が順調に進んだ。

 2004年12月には新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の産業技術実用化開発の助成対象に選ばれ、完全ヒト抗体作製システムの研究開発を加速し、2005年2月にはベンチャーキャピタルのSMBCキャピタル(現在、大和SMBCキャピタル、東京都千代田区)から3000万円の出資を受け、大学発ベンチャー企業として事業化初期の態勢固めを続けた。当時の高田社長と土井取締役の“二人三脚”経営の成果といえる。