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紙を漉く文故。
紙を漉く文故。
紙を漉く文故。

 最初は何をしているのかわからない。あっという間に出来上がる。注意して繰り返し見ていると、途中で動きが変わるようだ。何度か上下に揺さぶると、今度は前後に流している。

 紙の漉き手は尾崎文故(ふみこ)。この道40年のベテランである。文故がそれぞれの手で握る棒は、桁(けた)と呼ばれる巨大な木枠の取っ手である。木枠が挟み込んだ簀(す)は、いわば繊維を濾す巨大な四角いフィルターだ。目の前にある水槽――舟(ふね)――が湛える濁った水をすくうと、簀にうっすらと繊維の層が残る。これが乾くと紙になる。

 文故は、まず桁を手元側に沈めて水を簀の上に汲み入れる。一回、二回、三回と、汲み込む動作を繰り返す。次に、速いテンポで上へ下へ、桁を素早く揺する。文故の側と反対側で互い違いに水が躍る。今度は桁の手前をこころもち引き上げ、向こうへゆったり水を流す。あちらの端に波頭がぶつかると、弾かれた水を呼び戻すように、手元に向かってゆるやかに下る勾配をつくる。帰って来た波は、再び逆に針路を変える。あちらへ流し、こちらに戻す。数回往き来した液体を、文故はおもむろに向こう端から捨てる。

紙を漉く文故。
紙を漉く文故。

 桁を舟の出っ張りにあずけ、鉛筆大の道具をとり出す。先には鋭い針。簀の上の薄い膜に素早く目を走らせ、塵と見るや針で引っかけ、上下左右に弾き飛ばす。壁には飛んできた塵が積み重なって、でこぼこの影を引く。時には床に、あるいは舟に、余計な塵や材料をこそぎおとして、文故は再び桁を取る。

 再び手前の水を汲み取る。上下に揺さぶる。ちゃぷちゃぷちゃぷ。前後に流す。ちゃぽんちゃぽん。ポワンポワンと響く泡。ぎしぎしと入る合いの手は、天井に付けた竹の音。竹からの紐が桁を吊り、桁にあわせて竹がしなる。文故は何度も繰り返す。何度も何度も繰り返す。

 最後に向こうへ勢いよく水を捨てると終わり。桁から簀をはずし、文故は後ろを振り向く。白い堆積の上に簀を重ねて一気に剥がす。まだ紙になる前の表面に、剥がれる簀を追いかけて泡が次々に立っていく。これで一枚出来上がり。文故は再び舟に向かい、手前にまた桁を沈める。

 紙を漉く光景は、和紙づくりのハイライトである。見た目が派手なだけではない。和紙を和紙たらしめる要の工程がこれなのである。

 紙を漉く工程は全ての紙にある。紙は植物の繊維をシート状に固めたものである。紙をつくる際に、水中に分散させた繊維を濾し、薄く平らにまとめることを紙を漉くという。中国で発明されころから現在まで、すべての紙はこの原理に基づいてできている。その中で日本の紙づくりが異彩を放つのは、繊維の濾し方が独特だからである。繊維が入った水を、前後や左右に大きく揺らしながら濾す。これを「流し漉き」と呼ぶ。中国で始まった製紙法では、濾す際にこうした動きは伴わない。元来の製紙法を、流し漉きに対して「溜め漉き」という。なお、中国の一部や韓国の紙も流し漉きでつくられるらしいが、日本のそれとは随分違うようだ。