「さな」を満たす水は透き通り、一見、白皮しかないようだ。さなの右上に斜めに走る細長い緑の帯が、水を濾すために敷き詰めた杉の葉。
「さな」を満たす水は透き通り、一見、白皮しかないようだ。さなの右上に斜めに走る細長い緑の帯が、水を濾すために敷き詰めた杉の葉。
あかりが白皮を裏返す。

 次の工程でも、石灰を使った煮熟と同様、緩やかに作用する化学反応を利用する。煮熟を終えた白皮は、「さな」と呼ばれる場所で数日水にさらす。以前は田圃だったところに、山から引いた水を流し込んだ池である。水の入り口には、ぎっしり敷き詰めた杉の枝。葉の向き次第で天然のフィルターになって、流水から泥などを濾してくれる。

 太陽が輝く3月の午後、「さな」の面は鏡のように平らだ。水面に映る山林を透かして、静止した時間の中にあるような白皮が浮かび上がる。

 白皮を「さな」でさらすのは、煮熟で溶けだした成分や反応の残留物を洗い流すとともに、日光で漂白するためである。ずっと天気がよければ、一日半ほどさらすと表が象牙のような色になる。裏返して、また一日半。これで全体を漂白できる。日光の紫外線によって生じる、オゾンの漂白作用を利用するらしい。時間をかけて漂白するから、丈夫な繊維が保たれる。洋紙向けのパルプではこんな悠長なことはしない。薬品を用いて短時間で漂白処理をする。漂白剤の種類によっては、紙に残留して後々の劣化を引き起こすようだ。

 煮熟や漂白の仕方に加え、添加物が少ないことも和紙を頑丈にしている。尾崎家の紙では、紙の目を詰めるために加える填料(てんりょう)として、貝を砕いてつくる胡粉を使う程度である。これに対し、現在の洋紙は多種の添加物を利用している。填料に加えて、インクのにじみを抑えるサイズ剤、紙の強度を高める紙力増強剤、各種の塗料などなど。こうした添加物が増えるほど、時間とともに何らかの化学変化を生じ、後に紙を傷める可能性が高まる。典型的な例が、かつてサイズ剤のロジンを紙に定着するために用いた硫酸アルミニウム。水分と反応して硫酸を生じ、その結果紙がボロボロになる、いわゆる酸性紙の問題を引き起こした。

丹念に塵を取る宮子。
丹念に塵を取る宮子。

 「さな」での晒しを終えた白皮は、尾崎家の一角、小部屋の脇にあるポリバケツに入れられる。小部屋の中では茂とその妻・宮子が、一心不乱に手元に目を凝らしている。ポリバケツから白皮を取り出し、束ねていた紐をほどく。白皮を一つ一つ水に浸け、付着したゴミや変色した繊維を探して、手作業で取り除く。「塵取り」と呼ばれる工程だ。