石灰水に浸した山盛りの白皮の上に、甑(こしき)に似た蓋をかぶせて煮る。2時間ほどたったら蓋を上げて、水を足す。

 尾崎家の紙に最も親しんだ茂は言う。「紙づくりは技術と思うかもしれんけど、そうじゃない。一番大事なのは、いい水。二番はいい原料で、技術は三番目」。ただし、一体どのような水質が、どのような効果を生むのか今でもハッキリ分からない。尾崎家がずっと使い続けているのは、山から湧いて出る水である。尾崎家よりもさらに高い場所にある、峯岩戸の集落から引いている。和紙に向くといわれる軟水のようだが、成分を詳細に調べたことはない。あくまで「尾崎家の紙にはこの水」としか言いようがないのである。

 次の白皮を煮る工程にも、経験的にしか分からない要素と、理屈を説明できる部分が入り交じっている。一般に「煮熟(しゃじゅく)」と呼ばれる工程で、やはり乾燥した白皮を一日半水にさらしてから進む。煮熟では、アルカリ性の水溶液で白皮を煮ることで、リグニンやペクチンといった、繊維を固着している成分を溶かし、なるべくセルロースだけを残す。

 ここで使うアルカリ性溶液に、尾崎家は昔から消石灰(Ca(OH)2)を使っている。校庭に白線を引くとき、よく使うあれである。消石灰を溶かした液に、鍋から溢れんばかりの白皮を浸し、甑(こしき)に似た蓋をかぶせて煮る。2時間たったら蓋を上げ、あらかじめ白皮の山をぐるりと取り巻くように設置しておいた葛(かずら)を使って、器用に全体をひっくり返す。さらに煮ること1時間。蓋を開けると山盛りだった白皮は、随分縮んでしまっている。

 煮熟の工程で、繊維ではない部分をどれだけ残せるかが、尾崎家の紙の質を決める上でとても重要らしい。茂は繊維以外の部分を「肉」と表現し、「肉が多すぎても、少なすぎてもいかん」という。煮熟に消石灰を使うことは、いい具合に肉を残す上で大きな役割を果たしているようだ。尾崎家では石灰の代わりに、ソーダ灰(Na2CO3)や、草木を焼いてできる木灰などを使ってみたことがある。しかし思い通りの結果は得られず、結局石灰に戻してしまった。

葛を使って白皮をひっくり返し、再び蓋をして煮る。

 消石灰は水に対する溶解度が低く、その水溶液はそこまで強いアルカリ性を示さない。このことが、肉を残す上で有利に働いているのかもしれない。経験的には消石灰で材料を煮ると、出来上がった紙の光沢が落ちることが知られている。これを嫌って、例えば越前和紙では石灰は使わないという。尾崎家の紙では、むしろそれが独特の肌を生み、書家の感性に訴えかけるのだろうか。

 ただ、確かなのは消石灰を使った煮熟が、丈夫な紙をつくることである。煮熟に苛性ソーダ(NaOH)などの強力なアルカリ水溶液を使う場合と比べて、繊維を傷めずに済むからだ。「薬品でたくと、真っ白になるが繊維が弱い。長持ちしない」と茂。洋紙に使う木材パルプの製造工程では、強いアルカリ水溶液による処理などが不可欠で、その分繊維が傷みやすい。一因は、パルプの原料である木材に、楮などの皮と比べ数倍多くリグニンが含まれること。リグニンは紙の変色や劣化の原因であり、十分に取り除くには、より強い化学反応が必要なのである。