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 どうして、こんなところに住むのだろうか。初めて訪ねたとき、そう思った。

 高知市の中心部から、国道33号線を車でひたすら西へ。一時間ほど走ると、緩やかに蛇行する仁淀川沿いの道になる。横目をかすめるダムの水は、緑がかった青。川を挟む両側の斜面は、次第に険しく切り立っていく。その急勾配に沿って、ずいぶん上まで集落が続いている。コンクリートの土台に支えられた家々は、転げ落ちてしまわないよう、山肌にしがみついているかに見える。

 高い橋を渡り、トンネルに入る手前で左の小道に折れる。突き当たりは、切り返さないと曲がれない急カーブだ。ここから登りが始まる。アクセルを緩めただけで後戻りしそうな坂である。道幅は車一台分。途中で出くわした土地の人は心得たもので、少し広くなったところに停車し、こちらが行き過ぎるのを待っていてくれる。それでも、先を見通せない曲がり角や、道路の外側に何もない場所に張られた金網やフェンスが、ところどころ大きくゆがんでいる。勢い余って道からはみ出た車両は、1台や2台ではないようだ。

茶畑の上に見えてきた楮畑で収穫が進む。
茶畑の上に見えてきた楮畑で収穫が進む。
楮の株からたくさんの茎が伸びている。
楮の株からたくさんの茎が伸びている。

 途中まで迎えに来た相手に、見上げる高みから声をかけられた。「まず畑に行きましょう」。曲がりくねった坂を快調に飛ばす軽トラックに、危うく置いていかれそうだ。ようやく車を止めて、今度は徒歩で登る。遙か下に輝く青緑の川面に吸い込まれてしまわぬよう、視線を上にねじ向ける。その先に畑が現れた。葉もなければ果実もない。あるのは丸裸の立木ばかりだ。これが楮(こうぞ)。和紙を漉く尾崎家が、この地にとどまる理由である。

 和紙の原料として使う植物は、主立ったもので楮、雁皮(がんぴ)、三椏(みつまた)の三種類がある。このうち最も一般的な材料が楮である。和紙が洋紙と比べて丈夫とされる一因は、楮の繊維にある。その長さは平均9mm程度と、木材パルプの原料である針葉樹の約3mm、広葉樹の約1mmと比べて長い。漉く際に長い繊維がよく絡まりあうことで、丈夫な紙ができるとされている。時に「柔らかい」と評される和紙の肌合いも、楮ならではの味。鈴栄経師(きょうじ)の鈴木源吾は、「上質なパルプを使えば、(雁皮を用いる)鳥の子紙なら似たようなものがつくれるが、楮の独特の肌は無理」という。

 日本では紙の材料として古くから楮を使ってきた。事実、日本製で現存する最古の紙といわれる美濃・筑前・豊前の戸籍は、楮からできている。紙の作り方が伝来したといわれる610年ごろ、国内には楮の繊維をほぐして木綿(ゆう)と呼ぶ糸にする技術が既にあり、お祓いなどに使う幣(ぬさ)に用いていたという。楮を紙へ応用する発想は、ごく自然に生じたのだろう。楮は各地にあり、栽培に手が掛からないことも、採用を後押しした。