良い上司は質問魔

 もう一人,今度はコロンボおじさんと違ってスマートでダンディーな男を紹介したい。今から三十年ほど前の「セミコン・ジャパン」(半導体製造装置などの展示会)。まだ小さな半導体装置メーカーだった米Applied Materials, Inc.(AMAT)のブースで,痩身に燃えるような情熱を携えた若い男と技術論を交わした。帰りに名刺をくれた。技術者だとばかり思っていたら「President James C. Morgan」と書いてあった。

 後に私の上司となったジム・モーガンは,私が仕えた上司の中でも経営者という意味で出色である。失礼だが,さっきのおやじと違って,この人はかっこよかった。他人の視線を意識し,かっこよくあろうとしていた。彼の考える最もかっこいいことは,自他共に認める有能な経営者でいることだった。生まれつき勘がよく,ひらめきや想像力に一流のものがあり,そういう意味では才能に恵まれた人だったが,優秀な経営者であるための努力を惜しまなかった。当事者意識(Ownership)をしっかりと持ち,私生活はストイックで,自分で車を運転し,擦り切れた鞄には書類がいっぱいつまっていた。取り巻きを引き連れて行動することは少なく,昼食はセルフ・サービスの社員食堂で皆に混じって食べる。行き交う社員には誰彼かまわず声を掛けた。身を慎んで余計な装飾品をまとわないことが彼の美学だった。華美な暮らしは有能な経営者に必要のないものだからだ。社用車を使って銀座や北新地で飲み食いしたり,自家用ジェットで公聴会に行くような,どこかの経営者とは随分違う。

 といって吝嗇だったわけではない。部下と飲み食いに出かけることはまずないが,世界中からマネージャーが集まると,高級フレンチ・レストランを借り切ってポケットマネーで全員にご馳走する。ただし,ただ飲み食いさせたりはしなかった。食事の後で著名な経済学者や経営学者を呼んで講演させて,役員に勉強させるのは彼の得意技である。当時のAMAT役員会議では『イノベーションのジレンマ(原題:Innovator's Dilemma)』著者のクレイトン・クリステンセンや『ビジョナリー・カンパニー(原題:Built to Last)』著者のジェームズ・コリンズなどが講師を務めた。

 三菱のコロンボおじさんも議論や質問を好んだが,モーガンも質問好きだった。彼に会うと必ず「今のお前の最重要課題は何か三つ答えよ」と来る。モーガンは世界中に散らばる部下たちに会うたびこういう質問をして,戦略的課題を常に意識させ,問題意識を共有し,世界戦略との整合性を確認しようとしていた。

 モーガンのすごいところは大きな枠組みで物事をとらえ,それを事業計画/方針として実際に展開していける戦略性だ。不況を予感すると世間が騒ぎ出す半年くらい前には,AMATの全世界の拠点に不況が来るから対処せよとの警告(Warning)を出した。大事な問題には驚くようなタイミングで世界中から幹部を招集して議論する。絶好調と思われるときにも次に来るものは何か議論させ,次世代のための組織作りやビジネス・モデルを打ち出した。好調時に組織改革を断行することも多かった。

 私の知る限り装置業界で初めて,商社を通さず,現地法人を世界中に作って自社で販売やサービスを手掛けたのも彼だった。モーガンが社長になった頃のAMATは世界トップ10にも入らない小さな装置メーカーだったが,台湾や中国に対しては政府首脳と早くからコンタクトをとり,最後にはAMATの進出が受け入れ側政府にとって重要な施策であるかのように演出した。