コロンボ語る「技術とは」

 おじさんが言ったことのなかで,生涯忘れえないものがひとつある。このムードの中でこれを言った,という背景とのコントラストが聞きどころになるセリフなので,当時の社内の雰囲気について先に説明しておく。当時は技術で世界の最先端を走っていた半導体事業。本社のトップは常に「我が社独自の技術」を自慢にしていた。「我が社独自の技術」というお題目と「他社も着手」というお墨付きがあれば,社内の投資計画審議はほとんどが通ってしまうような風潮があった。

 そのわりには,予算会議で「CVD」(chemical vapor deposition:化学的気相成長法。Siウエハーに薄膜を形成する方法の1つ)などとうっかり言おうものなら「お前ら半導体のやつら,わけのわからん略語を勝手に使ってけしからん」とよく怒られた。これはちょっとおかしい。当時,半導体は稼ぎ頭だった。「副社長,あんたが副社長でいられるのも高いボーナスをもらえるのも半導体のおかげやないか。その重要な半導体に関わる基本的な用語を知らないで怒るのはけしからん」「すまん,大事な事業の基本的な用語も勉強せんと。悪いけど『CVD』ってなにか教えてくれるか?」こういう流れになって然るべきだと思う。しかし実際の会議にはそんな雰囲気は全くなく「CVD」を口にした人間が平謝りするばかり。「技術」を自慢にするわりに「技術者」の立場は当時,決して強いものではなかった。

 ある日の会議で地味な報告ばかりが続いたとき,経営幹部が怒り出した。
「なんだ,お前たちは人と同じことしかできんのか。我が社の誇る独自技術はないのか」
苛立つ幹部におじさんは答えた。
「技術とはなんぞや? 技術とは歩留まりと信頼性である」
会議は水を打ったように静まり返った。開発したLSI製造技術はいろんな尺度で評価されるが,最後は金になる歩留まりと信頼性に到るものこそが本当の技術なんだ。そんな価値観を凝集した言葉だった。

 おじさんのセリフが経営幹部を黙らせるほどの凄みを持ったのは,それが常日頃の実感から生まれた言葉だったからだ。客先で信頼性の問題があり,謝罪と対策に追われた苦い経験があった。また,歩留まりが上がらないという損益上の重大問題に,量産立ち上げの初期には当時,毎度のように悩まされていた。三菱のコロンボは,こうした問題の原因が自分たちの技術力のなさにあると真摯に受け止めていた。彼にとっては真実,信頼性と歩留まり(コスト)を支えるものこそが技術だったのだ。

 いま思えば,あの言葉は議論のやり方としてもうまかった。「よろしい,技術と言われるか。それならそもそも技術とは何であるか,議論しましょうか」と自分の土俵に相手を引きずりこむ。なにもケンカに強いことが良い上司の条件だとは思わないが,いざとなったら部下や部下がしてきた仕事を守れるだけの「腕っぷし」はやはり期待したいものである。

 一方で,コロンボは部下の日常管理など細かいことは一切言わなかった。曰く「現場を見てよくわかっているお前らが必要だと思ってやっていることを,ろくにわかってない頭の悪い俺がいちいち文句をつけてなんになる」。部下に任せて差し支えないような細かいことは完全に権限委譲していた。当時,職場にはいろんな部署から人材が集まっており,活気があり,自由闊達,談論風発の雰囲気があった。彼のマネジメント手法がそんな空気を作りだしていたのだと思う。

 彼の薫陶を受けた当時のヤングライオンズは主に四人。一人はその後,大手半導体メーカーの経営トップを務めた。一人は連携会社の社長になり,もう一人は世界最大手の半導体装置メーカーで経営幹部になり,一人は装置メーカーの日本法人社長を務めたあと,亡くなった。
本人は今,田舎で釣りをして余生を送っていると聞く。