司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んだ。動機は不純である。書店でいろいろ物色していたら、横にいた美しい女性が友人とおぼしき男性に司馬遼太郎の本を熱心に薦めていたのである。そうか、このごろの若い女性は司馬遼太郎が好みなのか。こんなときに「あ、それならオレとっくに読んでるから」と言えれば若い女性にちょっとはモテるかも。そんな考えが頭をよぎり、目の前にあった『坂の上の雲』の束をガバっとつかみ、レジにダッシュしたのである。

 買ったのに読まないのはもったいないので、読んでみた。そして、ものすごくハマった。全八巻を読み終えてからというもの、空行く白い雲の群れが秋山好古、真之、正岡子規、東郷平八郎、大山巌、児玉源太郎、乃木希典などに見えてくる有様である。そして読み終えたばかりのある日、家の近くに東郷神社があるので散歩に行ってみた。すると、境内を囲う壁の内側には日露戦争の大海戦の様子と東郷元帥ら勇姿たちのモノクロ写真や絵が数枚ほど目立たぬように掛けてある。

空に浮かぶ雲たちはみな坂の上の雲の登場人物に見える
空に浮かぶ雲たちはみな坂の上の雲の登場人物に見える

 「なるほどこれが戦艦三笠か、おぉ、東郷平八郎とはこの方か。おや?右後ろでメモを取るのは秋山真之ではなかろうか、ほんとにいたんだな」などと、読み終えたばかりの感動をトレースするように、物語の各場面を写真や絵に当てはめながら1枚1枚じっくり見ていく。そうしているうちに、写真に写っている彼らの存在感が、昨今の不況と不安にあえぐ心に支え棒のような安堵を与えてくれるのを感じたのである。

 100年前(1904年2月~1905年9月)、当時は圧倒的劣勢にあった日本が当時からバリバリの大国であったロシアに勝ち、欧米諸国の度肝を抜いた。その成功事例こそが「またやれる」ことの保証なのだ。そもそも、こんな不況など当時の苦境に比べればなんでもないことである。

 西洋の知識を寄せ集めて急ごしらえした軍隊でもって、当時最強のバルチック艦隊やコサック騎兵団に見事勝利する。そんな奇跡に近いことを演じるために発揮した独創的発想力は、不況突破のための格好のヒントである。天才的知的参謀である秋山真之においては古典的原書から新刊本までを片っ端から読破した旺盛な知的情報力、躊躇せず世界最高水準の人物たちに直接アクセスしていく行動力、村上水軍の戦法を参考に編み出したという画期的戦略の立案企画力などは格好の参考事例であろう。